孤独について

  40代の孤独について話題となっている日記を読んで少し感じるところがあったので書いてみる。

 

  独身40男が孤独にむしばまれていくというのは実感としてよく分かる。これには幾つか理由があると思う。

 

  まず一つは老い
  よく,「気持ちを若々しく保っていれば年を重ねることは怖くない 」という言葉を聞く。これは理想論として美しいけれども,実際に 肉体的な若さを失いつつある身としてはある種の空虚さを伴って響く。この手の「気の持ちようが大事」論もそうだし最近の様々な社会問題においてしばしば共通して感じることなのだが,「身体性」に 対する自覚があまりに乏しいのだと思う。

 


  30代半ばを過ぎてからはっきりと感じるのだが,この年代は体力と気力がそれまでにないスピードと顕著さで衰えていく。 仕事でも遊びでも若い頃のような無理(徹夜・オール)がきかなくなる。それどころか,頭痛腰痛に体の怠さ,首や肩筋の酷いこりと毎日どこかしら不調を訴える体に鞭を打って職場に向かうのは,仕事に慣れない若い頃とはまた違った辛さしんどさがある。


  「病は気から」という言葉があるが,逆もまた然りで,体の調子も心の状態に大きな影響を与える。体の不調に振り回されている うちに,1日の始まりに胸を膨らませる心の張りや季節の変化を読み取る感受性,新しい人やモノとの出会いを求める好奇心といったものが磨り減っていく。平日は仕事で必要なパフォーマンスをこなすのに一杯一杯となり寝ても若い頃のように前日の疲れは抜けない 。負わないといけない責任は増え精神的にも気が休まる暇はない。 週末は心身共に溜まった疲れから外に出かけて何か新しいことを始める気分にもならず,行き慣れた場所で馴染みの知人友人と顔を合 わせるのがせいぜい。そんな友人も同年代は結婚・出産でプライベートの優先事項が家族となり若い頃のようには気軽に会えない。 今更新しく友人を作るのも「億劫」だ。。。

 

  こうして気持ちがどんよりと澱んでいくなか,瑞々しさや好奇心を 失った精神の隙間に孤独が染みこんでいく。


  更に,こうした体の老化に否応なく引っぱられて衰えていく気力に加え,人生のステージングにおける40代が持つ重さも我々の心象風景に暗い影を落とす。

 

  以前に本ブログでも触れた白石一文の『一瞬の光』にこんな一節が ある。


「生まれ落ちた瞬間、誰もが祝福の光を浴びている。天上から、足元から、眼前から背後から、幾筋もの光が、困難な生を導くために それぞれの歩く道を照らしている。生きることは次第にその光を見失う行為だ。」

 

  若い頃は自分の将来は無限の可能性に満たされていて,努力次第で夢は叶えられるしなりたい自分になれると信じていた。それが40歳ともなれば人生は折り返し地点を迎え, 仕事のキャリアも終着点が相当程度はっきりと見えてくる年頃だ。 もはや可能性を追う年齢では無く,これまで積み重ねてきたものを どのようにアウトプットするか,社会と次の世代に何を残していくかが中心となっていく。そうして自身の社会人人生を振り返った時,「 これを成した」「次の世代に渡すバトンはこれだ」と世の中に対して広く胸を張れる程の実績を残せる人は決して多くない。 自分も含め多くの人にとっては,家族をはじめとするごく親しい人に対して,夕食の話題の中で少しばかり誇らしげに語る,そんなささやかなものだろう。組織という社会において代替可能な存在でしかない自己を受け入れ, そうした中でも自分という人間が存在した証。自分のこれまでの歩みを振り返って,それを知らしめる相手も承認してくれる存在もないことを知ると人は自分の人生の意義を見失ってしまうのかもしれない。

 

  では,孤独にむしばまれるのを防ぐにはどうしたらよいか。正直自分には確たる答えはない。結婚すればよい,子供を持つべきとの意見はよく聞く。ただ,相手によっては結婚生活が孤独を深めるケースもあるだろうし,子供についても育てる過程はともかく,孤独が 深さを増す壮年期以降に(その頃には)成人して彼等自身の人生を歩んでいるであろう子供達が我々の孤独を癒やす存在たり得るのか ,いや,そもそもそうした子供との繋がり方は親としてあるべき姿なのかと聞かれたら首肯する自信もない。

 

  自分は結婚していることもあり,件の日記の人のように差し迫って孤独を感じることはない。ただ,この先も孤独とは無縁の人生が約 束されている訳ではなく,この問題は潜在的にずっと考えていくことになるんだろうと思う。

夏の終わりに死を選ぶことについて

  先日ニュースで夏休み明けの時期に10代の自殺が多いと伝えているのを目にして,ふと自分が10代の頃のこの時期を思い起こした。

 

  小学生の頃は,イベント盛りだくさんで楽しかった夏休みが終わる名残惜しさの一方で, 久々に同級生に会えるワクワク感があった。6年生の夏休みは中学受験で塾の夏期講習&家での勉強一色だったので,余計に学校が始まるのが楽しみだった気がする。

 

  中高は水泳部に所属していたので,夏はひたすら練習と試合に明け暮れ,夏休みの最終週は手をつけていない宿題を片付けるべく優等生の同級生からノートを借り,おなじく宿題の概念を忘れ去っていた同類の部活仲間で回していた記憶しかない。 宿題が終わらない焦りはあったものの,当然ながらそれは自分の命を絶つほど切羽詰まったものではなかった。

 

  こうした記憶に現れているように,運動も勉強もできて先生受けも比較的良い級長タイプであった私にとって,小学校は自由に振る舞える居心地の良い空間であったし,中学高校 は進学校だったため勉強はその他大勢の中に埋もれたものの,水泳部という居場所のおかげで部活を中心にそれなりに楽しい毎日を送っ ていた。

 

  今思えば,当時の環境はなんだかんだ言って地方進学校にありがちなのどかかつぬるま湯的であり,肉体に比して精神はまだまだ未熟で幼かった自分にとって居心地の良いものであった。加えて,自分自身良くも悪くも環境適応性が高く,「与えられた条件や制約に 対して疑問や反抗心を抱くことが少ない」性格であったことも幸いしたのだろう。 

 

  なので,自分の学生経験からは,今この瞬間,学校生活に苦しさ・ 辛さを抱えている人に向けた教訓めいたなにかを、またはメッセージを見いだすのは難しい。

 

  ただ,これまでの人生の中で自殺したい程辛い時期がなかったわけではない。いや,自殺するほどではなかったが,学校であれば登校 拒否にはなったかもしれない。
  それは社会人1年目だった。

 

  それなりに知名度のある会社に入り,満たされた自尊心と未知の世界への期待とともに部署に配属された私を待ち受けていたのは, 社内でも評判のパワハラ上司だった。日本人としては平均的な身長だが痩せぎすで猫背のため実際よりも小柄な印象を与える体格,血色が悪く不健康に黒ずんだ顔に不似合いな太い口髭を蓄えたその風貌から,庶務の女性に「貧相ネズミ」と揶揄されていたその上司は ,私の上げるあらゆる書類とあらゆる報連相について時にネチネチと説教し時に罵倒し,更に機嫌が悪いときはファイルや文房具を私 に投げつけた。

 

  今でも覚えている出来事がある。部署の誰かの歓迎会の二次会で カラオケに行った時のことだ。一次会でも一番の下っ端として料理 のとりわけやドリンクの注文,支払いの取りまとめといった下働き をした私は,ここでも最初の仕事として上司,先輩を始め10人分 全員のドリンクを注文して曲を入力した。それが終わり腰を落ち着けようとした時に私の顔の横を何かがかすめた。 とっさに顔を躱して飛んだ方向を見ると,それは火が付いたタバコ だった。飛んできた方向を見ると例の上司が酔いで赤黒くなった顔 をニヤニヤさせながらこちらを見ている。

 

「早く盛り上げろよ」

 

  このときは流石に一瞬殺意が湧き拳を握りしめた。結局振り上げたのはタンバリンだったけど。

 

  この上司の存在のせいでとにかく職場に行くのが憂鬱で仕方なかったが,彼との辛い日々で自分が取った行動は,人事に訴える事でも転職活動に勤しむことなく,なにもせずただやり過ごすことだった。今思えばなんでその選択肢を考えなかったんだろうと思うが,社会人になって最初に出会った上司だったので,「この会社の役職者はこんなもの」という刷り込みがあったのかもしれない。

 

  が,それ以上に大きかったのは会社の人事ローテーションだった。一つの部署での勤務期間として2~3年が基本とされていた本社において、その上司は当該部署での勤務が既に1年を越えていた。上司が1~2年のうちに自分の目の前からいなくなるのは分かっていたので,深夜の合コンを楽しみにひたすら心を無にして働いた。

 

  それでも3日だけ取れた夏休みがあっという間に終わり,休み最終日の夜に落ち込む気分の中ぼんやり思ったのは,会社か上司が滅びてくれないかなあだったけど。

 

  その願いは当然叶うことなく,上司は夏休み明けも変わらず陰気かつ暴力的に 私を締め付け,結局1年半共に働いた。社会人2年目の秋に彼が人事異動で去った時の開放感は今も忘れがたい。

 

  閑話休題

 

  いじめであれなんであれ,学校が自分にとって安心して過ごすことができない,大きな苦痛を伴う場所となってしまった場合,そこか ら逃避するのは自然なことだ。三十六計逃げるに如かず。その一方で,逃避という言葉が端的 に示すように,それは本人には「本来いるべき場所から逃げてしま った」という心理的な負い目をもたらす。

 

  不登校の問題は,それを周囲の大人が受け入れ認めることができるかどうかもさることながら,周りの 同世代が学校という社会生活を送っている昼間に同じ時間の過ごし 方をしていないという,「まっとうな世界からこぼれ落ちてしまっ た」感覚も大きいのではないかと思う。私も就活に失敗して留年し ていた時期は先に社会人生活をスタートさせた同級生を思いながら 世界から取り残され奈落に落ちていくかもしれないという不安感に苛まれていた(※当時は就職氷河期と呼ばれ,社会に出るために用意された正社員の席は極めて限られていたことから,就活学生の間では履歴におけるわずかな瑕疵であっても致命的なビハインドになると信じられていた)。

 

  夏休み明けを控えて学校に行く気力が湧いてこない人達に説教くさく何かを押しつけるつもりはない。ただ,もし目の前の大事な人が知らず知らず自分を追い詰めてしまって苦しんでいたとしたら,「 滑り落ちるのを気にしなきゃいけないようなこの世の縁は,君が思っているよりずっと遠くにある。大丈夫。学校に行かなくても君の回りに世界は広がっている。この世界から転げ落ちはしない。」という趣旨のことをたぶん話す。そして手を取って,彼等が気づいていな い世界を探しに行き当たりばったりの道のりに足を踏み出して行くんじゃないか。あるいはそういう事ができる人間でありたい。

 

採用

「課長代理,今日の面接ですが,受験者の方から先ほど連絡があり,辞退したいと・・・」

 

面接の1時間前のことだ。部下が困惑気味に報告してきた。
履歴書にザッと目を通して経歴や年齢等から問題ないと判断し,余程のことがない限り採用するつもりでいたところだった。


今年の3月に前任者が辞めて以降,後任を探し続けている。
待遇はあまり良くない(特に給料)。人が集まらない主な原因はたぶんそれだ。
それでも前任者が辞める1ヶ月前には一人応募があり面接を行った。
面接のやり取りで,その人は7月から別の企業で働くことが決まっていたため,それまでの繋ぎのバイト感覚で応募してきたことが分かった。
背に腹は替えられない。取りあえず採用することにして,すぐに後任の後任を探しはじめた。

次はなかなか見つからなかった。

こちらのストライクゾーンとキャパシティを試してくるような数々の応募書類の中からようやく一通を拾い上げ、面接をすることにした。

履歴書には元日系の某航空会社勤務とあった。

 

若い頃、航空会社に勤める女性達とよく飲み会をやっていた。その中には当然日系大手の2社も含まれていたが、そのうち1社と何故か相性が悪かった。

応募者はその会社出身だった。

 

面接では待遇について念入りに確認した。問題ないとの返事であったので,採用通知を送ることにした。

返事が来ない。

不審に思った部下が電話したところ,勤務条件を見直して親にも相談した結果採用を辞退したいとのことだった。

 

振り出しに戻った。
また募集をかけた。

 

前回応募してきた人と同じ日系大手航空会社を辞めた人から履歴書が送られてきた。
嫌な予感がしたが躊躇していられる余裕も正直なところ無い。


再び面接の日時を調整して,履歴書に改めて目を通していたところで冒頭に至る。

 

 

「辞退の理由はなんと?」

「他で就職先が決まったそうです。」

「仕方ない。また募集をかけましょう。」

部下にそう言って席を立ち,自販機コーナーに向かった。
社屋裏手、屋外にある自販機は,35度を越える熱気にも異常を来すことなく,静かにピカピカと値段表示を光らせている。
透明なコーラが目にとまり,ボタンを押す。
その場で一口含むと,言いようのないドロリとした疲れが透明な泡にとけ込んでコーラが黒く濁った気がした。
セミの鳴き声が耳に響く。

日本語と外国語

   先日タイムラインに、小学校で英語教育を強化するべきか日本語教育(国語)にもっと力を入れるべきかって議論しているツイートが流れてきて、「そりゃ日本語教育だろ」とツイートで脊髄反射したんだけれど、少しそれを掘り下げて考えてみようと思う。教育論については素人なので、それなりに外国語に触れる経験をしてきた社会人(米国大学院で修士号取得、非英語言語での通訳業務経験あり)の立場からの意見ということで読んでもらえれば。フォロワーさんの中には言語教育を学んだ人や帰国子女の人がいるようなので良かったら適宜異論反論補足意見をお願いしたい。

 

   自分の考えをより正確に述べると、「社会人になってから学術分野やビジネスでも通用するような抽象度の高い議論を外国語で行うためには、その前提として相当程度高度な日本語力が必須。現状の国語教育の時間を更に上積みした上でならともかく、初等教育カリキュラムにおける総時間数が限られている以上、国語教育の時間を削る等して英語教育を強化するのは反対」となる。
そしてその理由を問われれば、「母国語能力を超える外国語能力が身につくことはないから」という点に尽きる。

 

 ビジネスマンや意識の高い学生の話題に上る、英語の勉強や留学の文脈においては、英語は意思疎通のツールとしてのみ扱われることが多いけど、言葉って本当はそれにとどまらないんだよな。意識してないけど私たちは言葉を通じて自分を取り巻く世界を認識し、それを自分にとって意味あるものとしている。目に見え耳に聞こえ肌に感じるものを「それ」そのままでしか受け止めることなく本能に従って処理するだけでは動物に過ぎない。「それ」を言葉で表し意味を与え解釈することで人は人たり得ている。


   そして重要なのは、実は私達が認識している対象とその「対象」を表す言葉は厳密には1対1で対応しているものではないということ。具体的にいうと、例えば「魚釣り」という言葉を聞いたある人が思い浮かべるのは「川辺でのフライフィッシング」かもしれないし、別の人は「船でのカツオ一本釣り」をイメージするかもしれない。私が視覚を通じて認識している「リンゴ」が他人の頭の中にある「リンゴ」と絶対的に同じものとは限らないのだ。


   それでも、テレビやネット等の情報通信手段や物流の発達等により、具体的な事物については、異なる地域に住む人同士の間でもある程度共通のイメージを持つことができるし、私の言う「リンゴ」と彼の言う「リンゴ」は同じものであるという約束の下にコミュニケーションは成り立っている。しかし、そうした言葉とそれが指す対象との関係は、対象が抽象度を増せば増すほどにその言葉が表す対象の輪郭や外縁に揺れや幅が生じ、そしてそれは異なる言語間においてはしばしば無視しえないほどのずれを生む。例えば、「人道」を表す言葉は日本語でも英語でもペルシャ語でも存在するが、それぞれの言葉がその範疇に収める意味は実は異なる。文脈、話者、伝える相手、事象の背景によって時に異なる訳語が与えられる程の違いが生じるのであって、そこに翻訳なり通訳の技術が必要となる余地が生じるんだけど、そうしたずれを認識するには抽象的な概念の外縁を意識的に把握できるほどに自分と世界をつなぐ血肉としての言語が必要となる。それはつまり、生まれてから膨大な言葉のシャワーを浴びて気の遠くなるほどの時間を費やして獲得される母国語以外他にない。それが基礎にあって初めて英語をはじめとする外国語の単語それぞれが表す事象と日本語のそれとのずれを意識しその言葉に対する理解を深め高度な議論を行うレベルで使いこなせるようになるのだと思う。

 

 で、平均的な7歳~10代前半における母国語の運用能力を考えてみると、まだ抽象的な概念を理解し使いこなすには不十分な年齢ってのは明らかで、その年齢の語学教育において重視されるべきは、日常的な言葉遣いを越えた抽象的な日本語の運用能力の強化なんだよ。英語じゃなくて。日本語能力が不十分なまま英語を勉強したって、日本語・英語とも街中で買い物して雑談する程度の語学力を身に着けるのが関の山なんだよな。
 これは経験的にも当てはまっていて、自分の周りの優れた外国語使いは皆もれなく非常に日本語の表現力・論理的思考力に長けている。反対に、駐在員の家族で日本語と英語を中途半端に混ぜた教育を行ったせいでどちらも貧弱な語彙と表現力、論理構成力しか身につかなかった人も多数見てきた。「優れた国語力なくして優れた外国語能力は身につかない」ってのは絶対的に言える。絶対に。

 

 小学生で英語を勉強する必要がないとは言わない。日本語にない英語特有の音を聞き分け発音する上では早い段階でそうした音に触れておくことに意味はあると思う。ただ、それにしても「国際語」としての英語をきちんと発音するのに大人になってから学んでも全然間に合うし、音の聞き分けと正確な発音を目的に、日本語能力が不十分な小学生段階において国語教育に優先して英語を教えることにどれだけの必要性があるだろうか、と問われれば自分は否定的に考えている。

中学受験

   リクエストがあったので中学受験について書こうと思う。特に目から鱗がおちるような知見はないし、快刀乱麻を断つみたいなすっきりした結論もない、たぶん。自分は地方で中学受験を経験し中高一貫の男子校に通ったが、受験期の子供がいるわけではないのであくまで自分の経験を踏まえて中学受験についてなんとなく感じていることを書いてみる。

 

 結論から言うと、「自分の子供の適性をよく見極めましょう」に尽きるんだけど。

 

   行きたい学校がどこにせよ、合格するのに必要な学力・知識水準ははっきりしていてSAPIXを始めとする中学受験塾でそうした学力を身につける方法論は確立されてるわけだからそれをやるだけなんだよな、受験勉強自体は。ただ、やっかいなのはそれをやるのが肉体的にも精神的にも未熟な10~12歳児だってこと。

 

   受ける学校にもよるけど、自分の体感から見るに、中学受験で必要な勉強量は社会人にとっての司法試験や公認会計士等の最難関資格に匹敵するんじゃなかろうか。そこまでの難関資格じゃない、TOEIでさえ英語を勉強している社会人のうち例えば900点到達に必要な勉強量をこなしている人の数なんてたかが知れてるだろうし、中学入試で出題される問題のレベルにしたって中位の偏差値の中高大学をなんとなく過ごしてきた大人じゃ歯が立たない難しさだと思う。大人でさえ容易にこなせない質と量の勉強をわずか10歳あまりの子供にやらせようとした時、肉体面・精神面における本人の適性の有無が大人とは比較にならないくらい大きな要素として関わってくる。

 

   10~12歳って頭も体もそして心も成長の途上にあってその成長度合いは子供によって様々だ。だから同じように勉強をさせて学力を上げようとしても、それぞれの子供の知能の発育度合いや精神面での成熟度、性格や体力によってその実現しやすさ(知識や解法の定着に要する時間・手間等)は当然大きく異なってくる。また、同じことをやらせるにも、どれだけのリソース・時間を割いてどこに重点を置くか、子供の気分をどうやって乗せていくかといったアプローチも千差万別となる。小学校高学年の子供に平日4~5時間、週末は10時間机について一定の集中力をもって勉強をさせるという生活に突入しようと思ったら、普通は我が子がそうした負荷に耐えられるかどうかを子供の体力・性格面での長所・短所を踏まえて慎重に検討した上で、その子の特性に応じた相当周到な準備が必要となる。そしてそうした子供の適性を一番よく分かっているのは親(のはず)なんだけど、中学受験に嵌っている一部の親の中には、こうした子供の適性を十分見極めないまま受験に突入してしまい、思うように成績が伸びない状況に発狂し、勉強に心身共に疲れ切っている子供を更に追い込んでしまっているケースが見受けられる。この点、中学受験に必要な勉強の質・量、それによる負荷を体感的に理解しているのは中学受験を経験している親なんだけど不思議とそうした親であっても受験に我を見失っている人は割と多い。これは、自分の受験の結果が不本意だった人はその失敗を子供で取り返そうとし、成功した人は「自分の遺伝子を受け継ぐ我が子は優秀に決まっている」って思い込みから成績が伸びない我が子を受け入れられないからなのかもなって思う。

 

 中学受験のプロコンやコスパ、男子校女子高・中高一貫教育の是非云々については議論が百花繚乱で書き尽くせないのでここでは網羅的には取り上げないけど、例えば、大学受験の観点から東大京大への進学可能性に限って言えば、正直進学する意味があると言えるのは都内で言えば御三家とそれに続く学校くらいだと思うし、散々勉強して(偏差値的に)中途半端な学校に行った挙句、中学受験のトラウマを抱えたまま大学の落ち着き先がMARCHみたいなケースを見るとなんだかなあ・・・と思う気持ちも分かる。でも、「開成・筑駒→東大」って成功例よりそういう不本意進学の方が多いんだよな、たぶん。その意味で中学受験経験者の大半は受験の「敗者」であって、彼ら彼女らが長じて親になって子供を使って過去の自分を救おうとしているところに東京の中学受験の狂騒っぷりがあるのかもと思う事もある。実際に周りにもいるんだよね。開成落ち巣鴨早慶って経歴へのコンプレックスを引きずって息子を何としても開成に入れようとしている男親とか。

 

   と、ここまで「正論」を書いてきたけど皆そんなことは分かっているんだよな。それでも一度始めてしまうとどんどん深みに嵌って抜けられなくなる怖さが中学受験にはあると思う。子供のことを一番よく分かっている親だからこそ、我が子のやる気スイッチを一生懸命探して押してやり、それでも時に手抜きする姿に激怒しある時は心を鬼にして遊びを我慢させ、そこまで頑張っているんだから報われてほしいと願う親心を他人が岡目八目で「くだらない」と言って切り捨ててもそれは誰も救わない正論なわけで。成績が伸びなくてこのまま続けていいのだろうかと悩んでも、途中で止めたらそれはそれで子供に挫折を味あわせてしまうんじゃないかとか、子供の意思も汲んで始めた受験なのにここでやめて諦め癖を覚えさせてしまうのはまずいんじゃないかとか、それまでに色々諦めて受験に投入した時間とリソースを考えたらとても損切りなんて・・・って感じでなかなかできないんだろうなと思うし、そこに中学受験の業深さがある。

 

   それに中学受験は志望校に合格出来なければ意味がないかと言えば自分はそうとも言い切れないと思っていて、スポーツや他の習い事と同様、1~2年間一つの事に打ち込んで全力を尽くした経験は受験結果の如何に関わらず本人の糧になり得る(なると断言しないのは、受験に「失敗」した時の大人のフォローが拙いとその経験が逆効果になってしまうため)。自分自身、大学生や社会人になってから1日10時間以上勉強した時にそれを支えた知的体力や集中力は中学受験で培った賜物だと思っている。

 

   ちなみに妻は中高と地方の公立でのびのび過ごしてそこそこの大学に進学していることもあって、子供のうちは根を詰めて勉強するより体動かして遊ぶべきって考えで、自分も、東京のそれと比べると牧歌的だったとはいえ中学受験の勉強生活で諦めたものや我慢したこともそれなりにありその我慢した記憶が今でも残っていることもあって、少なくとも「何が何でも絶対中学受験!」ってわけではない。(特に男の子であれば)小学生までは学校から帰ったらランドセル放って外に飛び出して友達と探検して秘密基地作ってカマキリやバッタ、クワガタを捕まえて・・・みたいな生活を送ってくれればいいなあと思っててそこは妻とも価値観は近い。そういう「活発で友達と元気に遊ぶ子」ってイメージも自分の経験からくる勝手な理想像だとは思うけど。


 ただ、自分の仕事やあれこれを考えると子供が学齢期になったら中学受験について検討しないといけないだろうなあと思っていて、妻の性格を考えると一旦始めたら相当のめり込むだろうし、それでなくても中学受験は諸々擲って受験生中心で生活を回さないといけないだろうから、自分は全体を俯瞰することを心がけつつ、①受験をさせるにあたっては子供の適性を踏まえて受験の是非と目的についてよく妻と話し合うこと、②一旦始めた後も途中でも撤退する選択肢を常に持っておくこと、③受験が「失敗」した時の子供と妻のフォロー・心理的サポートを準備しておくこと、はやるようにしようと思っている。

 

祖父の事

 終戦記念日ということで,戦争について,より具体的には戦争の時代を生きた祖父について少し書こうと思う 。

 

祖父は戦争について語ることが殆どなかった。 若い頃遊び人で鳴らした彼はいつでも飄々と物事をやり過ごすのが習い性で,父曰く都合の悪いことや苦しいことは忘れる気質だったらしい。 土地柄戦争や原爆についての記憶が日常と地続きにあったこともあり,無邪気な子供の性分で何度か祖父に戦争について尋ねたことがあるがいつも煙に巻かれて満足な回答を得たためしがなかった。そんな有様だったから小学生の頃,夏休みにお決まりの「 おうちの人に戦争についてお話を聞いてきましょう」という宿題も祖父の協力を得られず他の小学生の作文から幾つか借用してお茶を濁した記憶がある。

 

そんな祖父は,何故かベトナムとの交流事業に関わっていた。祖父の会社が特段ベトナムとビジネスをやっていたわけではなく,地元がベトナムに深い縁があるわけでもない。子供心に不思議に思っていたが,大学生になった頃何かの折に父親に聞いたところ「 お祖父さんは若い頃ベトナムにいたんだよ。」

初耳だった。聞くと祖父は戦時中,南洋学院というベトナムサイゴンにある学校に通っていたとのこと。南洋学院とは,南方植民地を経営するための人材育成を目的に外務省と文部省の所管で設立された3年制の高等専門学校で,同じような高等専門学校としては上海に設立された東亜同文書院が 知られている。満州鉄道や外務省に人材を輩出した学校として有名な東亜同文書院と比較して南洋学院が無名なのは同校が3年間だけ開校された「 幻の学校」とされているためである。

俄然興味が湧いてきて祖父に直接尋ねてみると,彼は同校の2期生として入学したらしい。親曰く,実の母親( 自分からすると曾祖母)を早くに亡くして後妻として嫁いできた継母との折り合いが悪く,そんな折に目にした「生活費・学費全て無料」 の南洋学院の募集要項に惹かれて受験したとのこと。祖父は相当の悪童だったらしいから家でも持て余したんだろう,20倍近い競争を突破して合格した祖父は親との軋轢もなく意気揚々と海軍の輸送船でベトナムに向かった。

当時戦況は既に米側に傾いており,何度か砲撃を受けながらの航海だったが無事サイゴンに着いた祖父 はそこで日本とは全く異なる生活を送った。 国外ということもあってか戦時下でありながら南洋学院と同校の置かれたサイゴンはかなりリベラルな雰囲気だったらしく,南国の豊富な食べ物とともに祖父はその自由な雰囲気を満喫したようだ。南洋学院では植民地経営のための人材育成という目的に沿って安南語,仏語,生物学,農業経営といった実学に重点が置かれており, 学費生活費が免除される代わりに同行卒業後は官公庁か商社への就職が条件とされていた。祖父もその規則に従って卒業後, 三菱商事に就職したが戦況の悪化により現地で徴用され,通信将校として従軍した。

従軍中の話は虎を食べた等の断片的なエピソードを除いて祖父の口が固く,明号作戦に参加した他はどのような作戦に従事していたのか,現時点で聞くことができていない。

そうこうしているうちに1945年8月に終戦を迎え,動員・ 武装解除された祖父は,仏語能力を買われて進駐してきた仏軍と捕虜との通訳を務めることとなった。 その間に現地の華僑名士に見込まれたらしくその華僑の娘と結婚して現地に留まる話が進められていたようである。 本人もその気になっていたが, 横浜正金銀行の幹部に叱責されて愛国心に目覚め, 終戦の翌年船でベトナムを離れ復員した。

この祖父の戦争記を知った時は,ちゃらんぽらんな元遊び人の姿から想像もつかない波乱万丈の半生 に驚く一方で,ひとところに留まらず自分を取り巻く世界の外への興味関心が抑えられない自分の気質は祖父譲りであったのかと妙に納得した記憶がある。

その後,もっと詳しい南洋学院時代・戦時中の話を祖父から聞こうと考えているが未だ果たせていない。これは自分の系譜を子供に語り継ぐために残された個人的な宿題だと思っている。時間があまり残されていないので早く片付けたい。
 
 

交換の論理(『一瞬の光』)

ここ最近、恋愛や人間関係、仕事のことを考えていてふと一冊の本が頭に浮かんだ。白石一文の『一瞬の光』。

一瞬の光 (角川文庫)

この作品は彼のデビュー作で、自分が進路に行き詰っていた学生時代に本屋でたまたま見かけて買った。確か村上龍が帯の推薦文句を書いていたと思う。

白石一文の作品はその後も直木賞受賞作(「ほかならぬ人へ」)も含め色々と読んだ。個人的には結構当たり外れが大きい人だと思っているので新作を買うのは半分博打だったりするんだけど、彼の作品は人生や社会の様々なテーマについて常に強いメッセージを発していて、好むと好まざるとに関わらず考えさせられるものが多い。

そうした彼の作品の中でも一番印象に残っているのがこの『一瞬の光』。大企業(三菱重工がモデル?)に勤めるエリート主人公と二人の女性とのかかわりを描いた作品なんだけど、この主人公、鼻につくくらいのエリートで美形で女性にモテまくってて社長の姪のこれまた超美人の才女と付き合っている。で、その主人公は美人のお嬢様(瑠依)と付き合いながら、ふとした切欠で知り合った女性(香折)とも交流を深めていく。この香折は幼い頃から凄まじい家庭内虐待を受けていてそのために苦しんでいるんだけど、そのトラウマゆえに周囲の人間を振り回す香折に対して、主人公も散々振り回されながら彼女の面倒を一方的に看続ける。そんな主人公に対して瑠依は「香折さんはあなたを利用している、あなたの善意を吸いつくそうとしている」と言う。

それに対する主人公の考えは、
「香折は私のことを利用しているーそうかもしれない。私の善意を吸いつくそうとしているーそうかもしれなかった。ただ、私にはそのことが私にとって何ほどの意味を持つのかがわからない。たとえ彼女が私を利用し、私の善意を享受したとしても、そのことと私の彼女への態度とのあいだに深いつながりはあるまい」

「瑠衣の言うことは、今日の世界全体を支配する『交換の論理』に立脚している。全ての価値が取引によって生み出されるという思想だ。だが、そこから真実の価値は生まれるのだろうか。”なぜ私がことにあたらないでおられよう”と考える人間は果たして現れ得るのだろうか」

 これ、自分が意識の片隅で常に思っていることと重なる。人付き合いにしても仕事にしても恋愛、婚活、結婚・・・あらゆる場面で自分たちはあまりにもこの「交換の論理」に囚われすぎているんじゃないだろうかって。勿論、恋愛相談一つとっても世の中には女性から搾取してやろうってロクでもない男がゴロゴロいるのが分かるし、反対に女性の中にも男性にタカって美味しい思いをしようとしてる人がいる。婚活でも男性は収入を見られ、女性は若さに価値が置かれる。結婚生活でも家事育児の負担がどちらか一方にだけ偏ってそれにもう一方が胡坐をかいているケースもあるし、仕事でも他人を利用し蹴落として自分だけが得しようとする人がいる。

そういう中で、自分だけが損をしないように、馬鹿をみないように自己防衛意識が働くのは尤もなことだし、そこからあらゆることにメリット・デメリット、プロコンやコストパフォーマンスといった「交換の論理」に立脚した意識が生まれてくるのだと思う。自分もそうだ。

でも本当にそれでいいんだろうか、と思う。仕事や外での人間関係においては自分に皺寄せが来ないように、ババを引かないように上手く立ち回って、プライベートではお互い自立して依存し合わない対等なパートナーと出会って家庭を築いて・・・「交換の論理」で選択していった先に自分の人生の意味はあるんだろうか。いい歳して夢見すぎなのかもしれないし、こういう思いが抜けきらないあたりが未だに独身でいる理由なのかもしれない。でも、この「交換の論理」を越える繋がりをどこかで見つけたいと思っているし、この思いは多分この先も消えない。



追記:白石一文の作品では『私という運命について』も好きで、「人生を自分の意思で選びとる」とはどういうことなのかを考えさせられる。