詐称の思い出

最近,ツイッターで炎上した。炎上自体はどうということはなかったが,その理由とされた経歴詐称を見てふと思い出したことがあった。

 

20代の頃,自分は某途上国に駐在しておりそこで現地語を学んでいた。主に家庭教師について勉強していたのだが,こうしたいわゆる座学だけではなく,休日にはできるだけ外出して現地の人と接するようにしていた。日本で教わった講師からは,せっかく現地で生活するのだから机にかじりついて勉強するだけでなく,積極的に街に出て生きた言葉を学ぶべきとのアドバイスをもらっていたからだ。

とはいえ,元々知り合いがいるわけでもない異国の地,むやみに出かけていったところでそうそう話し相手がいるわけではない。よく行くスーパーの若い兄ちゃんとは日常会話はできたが,お金を支払う短い間にそれ以上突っ込んだやり取りをするわけにもいかない。

 

旧市街にあるカフェには,休日に限らず昼間から中年のおっちゃんたちがコーヒーを飲みながらバックギャモンをしたりシーシャを片手に駄弁っているが,いきなりそこに入り込むのもハードルが高い。

 

そうして当初は話し相手をどうしたものか頭を悩ませていたが,そんな自分の前にちょうど良い相手がいることに気がついた。タクシーの運転手である。

 

住んでいた街では路線交通機関が存在しておらず,人々の足としてよく使われていたのがタクシーであった。(乗り合いバスというのも存在していたが,こちらはよりローカル度が高く,つまり外国人にとってはより利用するハードルが高いものだった)


タクシーに乗ると大抵は運転手から「どこから来た?」と聞かれる。彼らからするとアジア人が物珍しいのだろう。そこから会話が始まる。「日本から来た」「ここでなにしてる?」「○○の仕事をしている」「なんでこの国に来たんだ?」・・・。


相手が日本人であろうとお構いなしに地元の訛りで口語表現をかましてくる運転手相手のトークは,テキストで学んだ語学の実地研修として最適だった。

 

そうしてしばらくはタクシー移動を多用しての運転手との会話を活用していたのだが,そのうちそれもパターン化してきてマンネリ化してきた。その頃になるとわずかながら現地の知り合いもできはじめ,現地語の練習機会には事欠かなくなってきていたのだが,とはいえタクシーでの会話機会をルーティンで済ませてしまうのも面白くない。


そこで考えたのが,その場で思いついた職業になりすまして会話をする,というものである。

 

今となってはあまり覚えていないが,結構いろんな職業になりきってみたと思う。銀行員,国際機関職員,日本食レストランのシェフ,空手の達人,相撲レスラー,ピアニスト,サッカー選手etc。当たり前だが,自分の実際の仕事から離れれば離れるほど想像力と語彙力が試されるので,これはなかなか良いトレーニングになった。特に若い運転手に受けが良かったのは空手とサッカー選手だったと記憶している。(「ジャッキー・チェンを知っている!」といいながら空手の突きを一緒にやったりした。)

中東のサッカー事情について聞いているうちに道を見失って運ちゃんと二人してあっちいったりこっちいったり,はたまたせっかく話が盛り上がって良い感じで目的地についたのに料金をふっかけられてさっきまでの雰囲気はどこえやらで口論したりと,断片的に幾つかの記憶が甦る。

 

その後その国は色々あり,あの時くっちゃべった運転手たちは今どこでなにをしているのだろうと思う。

報連相について

    ツイッターフォロワーシップについて何か書いて欲しいとリクエストがあったので,上司とのコミュニケーションの中心を占める「報連相」について,自分自身の経験を踏まえて書いてみる。極めて個人的な経験に基づく主観なのでどこまで汎用性があるか分からない。一応,若手社会人(1~3年目)やこれから社会人になる人達を念頭に置いているけど,所属している組織や置かれた立場,各人の適性によって受け止め方は様々かと思うので,何かの参考になればという程度で。

 

    「報連相」って社会人の基本動作として大事だとよく言われるし,自分が新人の時も色んな人から言われた。けど,これって実際にやるとなると難しい。上司はいつ見ても忙しそうだし自分も目の前に溢れかえった各方面から依頼された作業処理に追われていて,いったいどのタイミングで相談をして指示を仰げば良いのか分からない,そもそもこんなつまらないことを聞いたり相談して良いのだろうか・・・といった事を考えているうちに抱え込んで,〆切り間際になって上司から「あれどうなった?」と聞かれてアワアワしながら進捗を報告したら上司の求めるものと全然違っていて撃沈する・・・。自分も新人時代にこうした経験をしたし,今でもこの報連相は気を遣う作業の一つだ。奥が深いぞ報連相

 

 そもそも,報連相ってなんだろう。いや,言葉どおり報告・連絡・相談のことなんだけど,この報告・連絡・相談を「なんのためにやるのか」という観点から,業務フローに沿って改めて整理してみようと思う。


(1)連絡
仕事において何か起きたときにまず行うのは,上司や関係者に対する連絡(第一報)だ。その目的は情報共有であり,共有された情報に関し,何らかの対応が必要かどうか,必要であるとすればどのような対応があり得るのかを適時適切に関係者が検討し判断するためである。この連絡において留意すべき点は2点。①スピード感とポイントの明確化,②連絡する対象範囲(情報の共有範囲),である。

 

①スピード感と伝えるべきポイントの明確化
先に書いたとおり,連絡はそれだけで終わることはあまりなく,むしろその連絡を起点に新たな業務が発生することが多い。連絡が遅れればそれだけ初動が遅れ,その後の作業が後手に回り工程管理が厳しくなる。したがって連絡を行うにあたっては,案件によって多少の緩急はあるにせよ,基本的にスピード重視。用いるべき連絡手段もそのスピード感(緊急性)と即応性の要否によって変わってくる。2~3時間程度の余裕があるならメールやチャットで良いし,案件によってはたとえ深夜であろうと休日であろうとガンガン電話をかける必要も出てくる。
    と同時に,連絡を行うにあたっては,口頭であれ文章であれ伝えたいポイントを明確にすることが重要。連絡はその後の検討・対応に時間を割くという観点から,受信(理解)それ自体の時間・労力を出来るだけ短縮する事が肝要であり,ダラダラと要領を得ない伝え方のせいで受け手が質問を差し挟む,或いは2回3回と読み返さないといけないというのはその時点で連絡の趣旨を損なっている。こうした事態を避けるために,メールやチャットでの連絡にあたっては予めテンプレートを幾つか用意しておいても良い。その際,注意して欲しいのは,「その情報はどこからもたらされたものか?」を必ず明らかにすること。受け手にとっては,発信元によって情報のクレディビリティ評価や重みが変わってくる(=対応が変わってくる)のでそこは落とさない方が良い。

 

②共有範囲
    連絡を行うにあたって時に頭を悩ませるのは,直属の上司に加えてどの範囲まで共有を行えば良いのか,という点。これは,共有すべき情報の性質や共有先の人達との関係性に依るところもあるので,少しでも迷ったらまずは直属の上司に「相談」するべきなのだが,原則としてできるだけ広く共有するという考えで問題ないと思う。
    組織には大抵「俺は聞いてないぞ」おじさんがいて,そういうおじさんへの情報共有が漏れていると後々彼等が立ちはだかってめんどくさい事態になるケースが多い。そうした「聞いてないおじさん」の発生を事前に防いでおく観点から,自分が思っているよりも気持ち広めに情報は流しておくのが良い。情報を知って怒る人は殆どいないし,仮に扱いに細心の注意が求められるような機微な情報である場合には,連絡一つとってもそれなりのポジションにある者が行うのが相場だしそうべきであるからだ。若手がneed to knowの原則を気にするような情報に触れる機会は限られるので「共有先を絞った方が良いかな」というのはあまり気にする必要はない。心配であれば,予めリスト化しておいて直属の上司に確認しておいてもらっておくのも一案だろう。

 

 

(2)相談と報告
 報告は連絡と区別がつきにくいが,自分の中では,「連続性の有無」で区別している。つまり,連絡が多くの場合新たな事態や(なんらかの対応が必要となり得る)状況の変化等を伝達するのに対し,報告は,それ以前に行われていた作業やなんらかの案件が存在しており,それにかかる進捗や現況,結果について伝達するために行われるという点である。この違いが何に起因するのかというと,連絡の目的が情報共有に集約されるのに対して,報告の場合,純粋な情報の共有(結果報告)に留まらず,上司の目線から見て方向性に問題ないか,或いは作業に漏れや落ちが無いか確認すること(上司に連帯責任を負わせる)や,そうした確認を通じて必要に応じて新たな指示を仰ぐ(相談という形でマンデートを確保する)事まで場合によって含まれるためである。ここで「新たな指示を仰ぐ」と書いたように,報告はしばしば相談するための前振りとして行うものであり,その意味で相談とこの報告は本来セットで捉えるのが適切だと思う。
 このように報告は連絡と比べて目的に幅があることから,その目的によってどのタイミングで行えば良いのか,という問題が発生する。

 

①報告を行うタイミングと手段
    まず,目的が単なる結果報告の場合,業務が完了した時点で報告すれば済むのでタイミングについてはそれほど悩むことはないと思う。報告の手段についても,わざわざ電話で上司を拘束する程の報告案件はあまり想定されず,基本的にメールやチャットで良いと思う(上司のキャラによっては口頭での報告を求めるタイプもいるのでそこは上司次第というのはあるけど)。ただ,この手の結果報告は,行う側からすると業務が片付いた解放感からしばしば忘れられがちなのだけれど,報告を受ける上司からすると,その案件がクローズしたという情報は自身の業務管理や部署のマネジメントを考える上で大事な判断材料となるのでうっかり忘れたり間を置きすぎて報告すると意外と怒られたりする。
    一方,悩ましいのが,業務の進捗や途中経過の報告だ。これについては,その日〆の作業であれが午後前に一度報告しておくだとか,一週間の作業であれば2日目の終わり・4日目の終わりといったペースで報告するとか,それなりの相場観はあるのだと思うけど,そこは個別のケースによって様々なので,そうした個別のテクニックというより,ここではむしろ総論的な心構えに触れておきたい。

 

②報告・相談における主導権の確保
    先ほど報告と相談はセットで考えると書いたけど,業務の捉え方として大事なのは,上司から指示された作業や報告・相談をバラバラに考えるのではなく,まず作業を指示された時点でその作業の完了までの工程を意識する点。点としての作業ではなく,業務完了報告までの全体的な流れで捉えてその中で報告と相談をどう位置付けるか考える。指示されたら言われるがままやるという受け身ではなく,その業務全体を自分の案件と捉えて主導権を握る意識を持つ。指示を受けた時点で大まかなアウトプットのイメージと方向性,作業の〆切りを確認し,そこから工程を組んでどのタイミングで上司に報告・相談するかをイメージして作業に取りかかる。報告・相談において大事なのは,上司に「あれどうなった?」と言わせないこと,言わせるときは敢えてこちらの誘導で言わせるくらいの姿勢を持つこと。
    このように主体的に作業をハンドリングするためには,その作業が上司の指示の中でどのような位置付けにあるのかを知っておく必要がある。そのためには,上司の業務状況(どのような案件を抱えているか)と1日単位,1週間単位での仕事のリズム・繁忙サイクルを把握しておくことが望ましい。そうすることで,上司に報告しやすいタイミングも予めイメージしやすくなる。これまで何度かツイートでも触れているが,このように上司の状況を把握しておくためには,自分の目の前の作業に没頭するだけでなく,上司が誰と電話しているか,誰に何を指示しているか,更に上の上司や役員からいつどういう指示を受けているかといった,周囲の動きにも目を配り聞き耳を立てておく必要がある。
 
 大まかなイメージと方向性を事前に相談して上であっても,実際に作業に取りかかると色々と疑問や迷いが生じたり,どうしたら良いか分からないといった困難に直面することは普通にある。その場合,大事なのは,この相談はマンデートを得るためなのか,上司を巻き込むことで責任の主体を負わせることなのか,その目的を明確に意識することである。作業の主導権を確保する観点からは,上司になんでも丸投げ相談するようなやり方は極力避けるべきであり,可能な限り広く裁量を維持しておくことが望ましい。指示を受けた時点で大まかなアウトプットのイメージや作業の方向性を確認しておくのも,後々の手戻りを防ぐという意味もさることながら,自分の裁量で泳ぐスペースを確保しておくという意味もある。そう考えると,「AかBか」「●●をやる/やらない」といった単純な「イエス/ノー」クエスチョンについては予め自分なりの方向性を持った上で相談に臨むべきであるし,単純なファクツの確認はあまり構えた相談という体をとらずサクッと聞けば良い。初めての業務や入社して間もないうちはとにかく少しでも疑問に思ったことは上司に相談した方が良いが,いつまで経ってもそれでは重要な作業を任せられなくなる。後々事故にならない限度を見極めつつ,自分で泳ぐ余地をどう確保するか,その判断が肝となる。そうした判断を的確に行う助けとなるのが,先に述べたような上司の普段の動きをウオッチしておくことだ。
 一方,アウトプットのサブスタンスに係る事情変更の発生であるとか,関係方面との調整で自分よりエライ人から横車を押されたりであるとか,自分の裁量を明らかに越えた問題が発生した場合は躊躇せずにマルッと上司に投げてしまえば良い。ここで変に「自分でなんとかしないと」と抱え込まないこと。余裕があれば,自分なりにどうすれば良いか考えて上司に披露しても良いが,そのために時間を過剰に費やすのは本末転倒。ぐずぐずと抱えて悩んでいても決して事態は改善しないしむしろ悪化していく。さっさと上司に相談して責任を負わせるべし。

 

 私の好きな言葉に「プロセス管理の巧拙は時にサブスタンスの良否を凌駕する」というものがある。そのプロセス管理の要となるのが報連相だと思っていて,以上,長々と報連相の意味とその扱い方について書いてきたわけだが,これらを自分が若い頃にきちんと出来ていたかといえば全然出来ていなかった。ってか,今も出来ているか怪しい。その意味で,この記事は若き日の自分の無能さへの懺悔であり反省文といってよい。当時の上司の皆さん,ごめんなさい。

日本酒に目覚めた旅

    この週末,新潟に行ってきた。目的は日本酒。いま,朝活で取っている日本酒検定講座のフィールドワークだ。短い旅程ながら盛りだくさんの内容で非常に充実した2日間だったが, 今回の日本酒旅で特に感銘を受け,自分の見方が大きく変わったのは普通酒だった。

 

    御存じのとおり私はここ2年ほど日本酒にはまっており,週末は新潟をはじめ全国各地の日本酒を楽しんでいる(最近までほぼ毎日飲んでいたが,健康を考えて平日の家飲みは控えている)。日本酒には作り方によっていくつか種類があり,日本酒好きの方に限らずそ うした種類分けはご覧になったことがあると思う。いわゆる, 大吟醸純米吟醸,特別本醸造といったやつだ。 ざっくり説明すると,「吟醸」,「大吟醸」 は原料の酒米をどれくらい削っているか(精米歩合) を表していて(吟醸だと40%以上(=精米歩合60%以下), 大吟醸だと50%以上(=精米歩合50%以下)削っている), 米と水だけで作っているか,それとも醸造用のアルコールを添加しているかどうかで「純米酒」と表記できるかどうかが決まる。 例えば,「純米吟醸」であれば精米歩合が60%以下でお米と水, 米麹だけで作っているけど,これが「吟醸」としか書いていなければ醸造用アルコールが添加されている可能性がある。また,「 特別本醸造酒」と表記されていれば、それは精米歩合60%以下でかつ醸造用アルコールが添加されている日本酒であることを意味する。(「特別」 がつかない本醸造酒だと精米歩合が70%以下となる)。これら純米,吟醸本醸造といった名前がつくものを「特定名称酒」と呼び, それ以外を普通酒と呼ぶ。コンビニやスーパーで売られている紙パックの日本酒をはじめ,流通している日本酒の大半はこの普通酒に当たる。

 

    なお,更に最近よく目にするのに「無濾過」「生原酒」というのがある。無濾過というのは文字通り濾過していないお酒で,生原酒と いうのは加熱処理をせず水も加えていないお酒のことだ(通常,日本酒は味の劣化を防ぐため加熱処理を行い,またアルコール度数を整えるため水を加える)。

 

 私が日本酒にはまるきっかけとなったのが,この特定名称酒純米吟醸酒,それも無濾過生原酒だったことから,これまで主にそうしたタイプの日本酒を好んで飲んできた。とはいえ, 色々と飲むうちに日本酒の多様性を感じるようになり,最近ではお米の精米歩合吟醸大吟醸)や濾過の有無,生原酒かどうかといった事にはあまりこだわらなくなってきたが,そうした中でも割と気にしていたのが「純米酒」という点である。

 

 先に説明したとおり,純米酒というのはアルコールを加えていない ,米と麴と水だけで作った日本酒である。日本酒と醸造用アルコールを巡っては戦時中から戦後にかけての暗い歴史があり,加えて個人的には大学時代にアルコールが添加された(アル添)安酒でイッ キをさせられた苦い思い出もある。それらが相俟って20代から30代にかけてのアルコール人生では,冬場にたまに熱燗で飲んだりする以外では日本酒を避けてきた。2年前に賀茂錦の純米吟醸無濾過生原酒に出会ったことで,日本酒そのものに対する苦手意識は消えたものの,元々の苦手意識の核となっていた,アル添酒に対する「アルコールで水増しした安かろう不味かろう酒」 というネガティブなイメージはどうしても拭いきれなかった。酒屋で自然と手が伸びるのも純米酒となり,居酒屋でもアル添の日本酒しか置いていない店では日本酒では無く焼酎やハイボールを飲み続けた。

 

 そうした,日本酒について最後に残っていた引っかかりを解きほぐしたのが今回の旅行であった。旅行1日目の夜,地元で人気の居酒屋で行われた懇親会の場で,隣に座った講師の人(新潟の清酒卸会社勤務で新潟清酒達人検定の金の達人)に勧められて麒麟山の超辛を飲んだ。値段は二合で確か1000円程度だったと思う。私が普段都内 のお店で日本酒を飲む場合,純米吟醸だと大抵グラス( 120ml)で600~700円程度なので、二合= 約360mlとなると2000円はする計算だ。それと比べると麒麟山の超辛は半額の値段。新潟が酒処という点を差し引いても安い。純米とも吟醸とも書いていないので,いわゆる普通酒だろう。この値段で飲める日本酒で美味しいと思ったものに出会ったことがなかった私は ,日本酒のプロに勧められるままお猪口を差し出し注いではもらっ たものの,どうせたいした酒ではないだろうとタカをくくっていた。口に含む までは。

 

 

    予想を裏切る旨さだった。自分がこれまで好んで飲んできた甘味, 酸味がはっきりとした日本酒とは明らかに違うタイプ。そっけない程にキレがあり,ともすれば印象に残らなそうな後口でありながら じわりと静かに旨みが広がる。 前面に出てきて食事の味を邪魔することなく,飲むと料理に箸が伸 び,料理を一口食べるとお猪口を傾けたくなる。期待せずに飲んだ麒麟山の超辛はそんな名バイプレイヤーのようなお酒だった。

 

    日本酒を飲み出してよく目にするようになった表現に「飲み疲れしない」というのがある。華やかな香りとくっきりとした甘味・酸味のある日本酒は確かに美味しい。美味しいのだけれど,例えば食事と共にそれをずっと飲み続けられるかというとちょっと違ったりする。口がその豊かな味に押され続けて重たく感じてくるのだ。麒麟山の超辛にはいくら飲んでもそうした「押しつけがましさ」を感じない。 すいすいと飲める。その夜はその後も結局麒麟山から離れることが できず,最後まで2合徳利を注文しては飲み続けた。

 

 翌日その麒麟山酒造を見学し,そこでは普通種として商品の主力と なっている伝統辛口(伝辛)を試飲で飲んだのだが,やはり旨い。 そして気づいた。新潟には八海山,久保田,越乃寒梅といった有名 銘柄が数多くあるし,それらの吟醸酒大吟醸酒が酒処新潟の評判 を引っぱっているように見えるが,その実,まさにこうした地元の 人が毎日の晩酌に飲む普段使いのお酒のクオリティの高さが新潟の酒文化を支えているのだと。

 

 今回の旅行を機に,自分の日本酒好みカテゴリーに「飲み疲れしな い普通酒」というのが加わった。それが何よりの収穫だった。

 

孤独について

  40代の孤独について話題となっている日記を読んで少し感じるところがあったので書いてみる。

 

  独身40男が孤独にむしばまれていくというのは実感としてよく分かる。これには幾つか理由があると思う。

 

  まず一つは老い
  よく,「気持ちを若々しく保っていれば年を重ねることは怖くない 」という言葉を聞く。これは理想論として美しいけれども,実際に 肉体的な若さを失いつつある身としてはある種の空虚さを伴って響く。この手の「気の持ちようが大事」論もそうだし最近の様々な社会問題においてしばしば共通して感じることなのだが,「身体性」に 対する自覚があまりに乏しいのだと思う。

 


  30代半ばを過ぎてからはっきりと感じるのだが,この年代は体力と気力がそれまでにないスピードと顕著さで衰えていく。 仕事でも遊びでも若い頃のような無理(徹夜・オール)がきかなくなる。それどころか,頭痛腰痛に体の怠さ,首や肩筋の酷いこりと毎日どこかしら不調を訴える体に鞭を打って職場に向かうのは,仕事に慣れない若い頃とはまた違った辛さしんどさがある。


  「病は気から」という言葉があるが,逆もまた然りで,体の調子も心の状態に大きな影響を与える。体の不調に振り回されている うちに,1日の始まりに胸を膨らませる心の張りや季節の変化を読み取る感受性,新しい人やモノとの出会いを求める好奇心といったものが磨り減っていく。平日は仕事で必要なパフォーマンスをこなすのに一杯一杯となり寝ても若い頃のように前日の疲れは抜けない 。負わないといけない責任は増え精神的にも気が休まる暇はない。 週末は心身共に溜まった疲れから外に出かけて何か新しいことを始める気分にもならず,行き慣れた場所で馴染みの知人友人と顔を合 わせるのがせいぜい。そんな友人も同年代は結婚・出産でプライベートの優先事項が家族となり若い頃のようには気軽に会えない。 今更新しく友人を作るのも「億劫」だ。。。

 

  こうして気持ちがどんよりと澱んでいくなか,瑞々しさや好奇心を 失った精神の隙間に孤独が染みこんでいく。


  更に,こうした体の老化に否応なく引っぱられて衰えていく気力に加え,人生のステージングにおける40代が持つ重さも我々の心象風景に暗い影を落とす。

 

  以前に本ブログでも触れた白石一文の『一瞬の光』にこんな一節が ある。


「生まれ落ちた瞬間、誰もが祝福の光を浴びている。天上から、足元から、眼前から背後から、幾筋もの光が、困難な生を導くために それぞれの歩く道を照らしている。生きることは次第にその光を見失う行為だ。」

 

  若い頃は自分の将来は無限の可能性に満たされていて,努力次第で夢は叶えられるしなりたい自分になれると信じていた。それが40歳ともなれば人生は折り返し地点を迎え, 仕事のキャリアも終着点が相当程度はっきりと見えてくる年頃だ。 もはや可能性を追う年齢では無く,これまで積み重ねてきたものを どのようにアウトプットするか,社会と次の世代に何を残していくかが中心となっていく。そうして自身の社会人人生を振り返った時,「 これを成した」「次の世代に渡すバトンはこれだ」と世の中に対して広く胸を張れる程の実績を残せる人は決して多くない。 自分も含め多くの人にとっては,家族をはじめとするごく親しい人に対して,夕食の話題の中で少しばかり誇らしげに語る,そんなささやかなものだろう。組織という社会において代替可能な存在でしかない自己を受け入れ, そうした中でも自分という人間が存在した証。自分のこれまでの歩みを振り返って,それを知らしめる相手も承認してくれる存在もないことを知ると人は自分の人生の意義を見失ってしまうのかもしれない。

 

  では,孤独にむしばまれるのを防ぐにはどうしたらよいか。正直自分には確たる答えはない。結婚すればよい,子供を持つべきとの意見はよく聞く。ただ,相手によっては結婚生活が孤独を深めるケースもあるだろうし,子供についても育てる過程はともかく,孤独が 深さを増す壮年期以降に(その頃には)成人して彼等自身の人生を歩んでいるであろう子供達が我々の孤独を癒やす存在たり得るのか ,いや,そもそもそうした子供との繋がり方は親としてあるべき姿なのかと聞かれたら首肯する自信もない。

 

  自分は結婚していることもあり,件の日記の人のように差し迫って孤独を感じることはない。ただ,この先も孤独とは無縁の人生が約 束されている訳ではなく,この問題は潜在的にずっと考えていくことになるんだろうと思う。

日本語と外国語

   先日タイムラインに、小学校で英語教育を強化するべきか日本語教育(国語)にもっと力を入れるべきかって議論しているツイートが流れてきて、「そりゃ日本語教育だろ」とツイートで脊髄反射したんだけれど、少しそれを掘り下げて考えてみようと思う。教育論については素人なので、それなりに外国語に触れる経験をしてきた社会人(米国大学院で修士号取得、非英語言語での通訳業務経験あり)の立場からの意見ということで読んでもらえれば。フォロワーさんの中には言語教育を学んだ人や帰国子女の人がいるようなので良かったら適宜異論反論補足意見をお願いしたい。

 

   自分の考えをより正確に述べると、「社会人になってから学術分野やビジネスでも通用するような抽象度の高い議論を外国語で行うためには、その前提として相当程度高度な日本語力が必須。現状の国語教育の時間を更に上積みした上でならともかく、初等教育カリキュラムにおける総時間数が限られている以上、国語教育の時間を削る等して英語教育を強化するのは反対」となる。
そしてその理由を問われれば、「母国語能力を超える外国語能力が身につくことはないから」という点に尽きる。

 

 ビジネスマンや意識の高い学生の話題に上る、英語の勉強や留学の文脈においては、英語は意思疎通のツールとしてのみ扱われることが多いけど、言葉って本当はそれにとどまらないんだよな。意識してないけど私たちは言葉を通じて自分を取り巻く世界を認識し、それを自分にとって意味あるものとしている。目に見え耳に聞こえ肌に感じるものを「それ」そのままでしか受け止めることなく本能に従って処理するだけでは動物に過ぎない。「それ」を言葉で表し意味を与え解釈することで人は人たり得ている。


   そして重要なのは、実は私達が認識している対象とその「対象」を表す言葉は厳密には1対1で対応しているものではないということ。具体的にいうと、例えば「魚釣り」という言葉を聞いたある人が思い浮かべるのは「川辺でのフライフィッシング」かもしれないし、別の人は「船でのカツオ一本釣り」をイメージするかもしれない。私が視覚を通じて認識している「リンゴ」が他人の頭の中にある「リンゴ」と絶対的に同じものとは限らないのだ。


   それでも、テレビやネット等の情報通信手段や物流の発達等により、具体的な事物については、異なる地域に住む人同士の間でもある程度共通のイメージを持つことができるし、私の言う「リンゴ」と彼の言う「リンゴ」は同じものであるという約束の下にコミュニケーションは成り立っている。しかし、そうした言葉とそれが指す対象との関係は、対象が抽象度を増せば増すほどにその言葉が表す対象の輪郭や外縁に揺れや幅が生じ、そしてそれは異なる言語間においてはしばしば無視しえないほどのずれを生む。例えば、「人道」を表す言葉は日本語でも英語でもペルシャ語でも存在するが、それぞれの言葉がその範疇に収める意味は実は異なる。文脈、話者、伝える相手、事象の背景によって時に異なる訳語が与えられる程の違いが生じるのであって、そこに翻訳なり通訳の技術が必要となる余地が生じるんだけど、そうしたずれを認識するには抽象的な概念の外縁を意識的に把握できるほどに自分と世界をつなぐ血肉としての言語が必要となる。それはつまり、生まれてから膨大な言葉のシャワーを浴びて気の遠くなるほどの時間を費やして獲得される母国語以外他にない。それが基礎にあって初めて英語をはじめとする外国語の単語それぞれが表す事象と日本語のそれとのずれを意識しその言葉に対する理解を深め高度な議論を行うレベルで使いこなせるようになるのだと思う。

 

 で、平均的な7歳~10代前半における母国語の運用能力を考えてみると、まだ抽象的な概念を理解し使いこなすには不十分な年齢ってのは明らかで、その年齢の語学教育において重視されるべきは、日常的な言葉遣いを越えた抽象的な日本語の運用能力の強化なんだよ。英語じゃなくて。日本語能力が不十分なまま英語を勉強したって、日本語・英語とも街中で買い物して雑談する程度の語学力を身に着けるのが関の山なんだよな。
 これは経験的にも当てはまっていて、自分の周りの優れた外国語使いは皆もれなく非常に日本語の表現力・論理的思考力に長けている。反対に、駐在員の家族で日本語と英語を中途半端に混ぜた教育を行ったせいでどちらも貧弱な語彙と表現力、論理構成力しか身につかなかった人も多数見てきた。「優れた国語力なくして優れた外国語能力は身につかない」ってのは絶対的に言える。絶対に。

 

 小学生で英語を勉強する必要がないとは言わない。日本語にない英語特有の音を聞き分け発音する上では早い段階でそうした音に触れておくことに意味はあると思う。ただ、それにしても「国際語」としての英語をきちんと発音するのに大人になってから学んでも全然間に合うし、音の聞き分けと正確な発音を目的に、日本語能力が不十分な小学生段階において国語教育に優先して英語を教えることにどれだけの必要性があるだろうか、と問われれば自分は否定的に考えている。

祖父の事

 終戦記念日ということで,戦争について,より具体的には戦争の時代を生きた祖父について少し書こうと思う 。

 

祖父は戦争について語ることが殆どなかった。 若い頃遊び人で鳴らした彼はいつでも飄々と物事をやり過ごすのが習い性で,父曰く都合の悪いことや苦しいことは忘れる気質だったらしい。 土地柄戦争や原爆についての記憶が日常と地続きにあったこともあり,無邪気な子供の性分で何度か祖父に戦争について尋ねたことがあるが,いつも煙に巻かれて満足な回答を得たためしがなかった。そんな有様だったから小学生の頃,夏休みにお決まりの「 おうちの人に戦争についてお話を聞いてきましょう」という宿題も,祖父の協力を得られず他の小学生の作文から幾つか借用してお茶を濁した記憶がある。

 

そんな祖父は,何故かベトナムとの交流事業に関わっていた。祖父の会社が特段ベトナムとビジネスをやっていたわけではなく,地元がベトナムに深い縁があるわけでもない。子供心に不思議に思っていたが,大学生になった頃何かの折に父親に聞いたところ「 お祖父さんは若い頃ベトナムにいたんだよ。」

初耳だった。聞くと祖父は戦時中,南洋学院というベトナムサイゴンにある学校に通っていたとのこと。南洋学院とは,南方植民地を経営するための人材育成を目的に外務省と文部省の所管で設立された3年制の高等専門学校で,同じような高等専門学校としては上海に設立された東亜同文書院が 知られている。満州鉄道や外務省に多くの人材を輩出した学校として有名な東亜同文書院と比較して,南洋学院が無名なのは同校が3年間だけ開校された「 幻の学校」とされているためである。

俄然興味が湧いてきて祖父に直接尋ねてみると,彼は同校の2期生として入学したらしい。親曰く,実の母親( 自分からすると曾祖母)を早くに亡くして後妻として嫁いできた継母との折り合いが悪く,そんな折に目にした「生活費・学費全て無料」 の南洋学院の募集要項に惹かれて受験した。祖父は相当の悪童だったらしいから家でも持て余したんだろう,20倍近い競争を突破して合格した祖父は親との軋轢もなく意気揚々と海軍の輸送船でベトナムに向かった。

当時戦況は既に米側に傾いており,何度か砲撃を受けながらの航海だったが無事サイゴンに着いた祖父 はそこで日本とは全く異なる生活を送った。 国外ということもあってか戦時下でありながら南洋学院と同校の置かれたサイゴンはかなりリベラルな雰囲気だったらしく,南国の豊富な食べ物とともに祖父はその自由な雰囲気を満喫したようだ。南洋学院では植民地経営のための人材育成という目的に沿って安南語,仏語,生物学,農業経営といった実学に重点が置かれており, 学費生活費が免除される代わりに同行卒業後は官公庁か商社への就職が条件とされていた。祖父もその規則に従って卒業後, 三菱商事に就職したが戦況の悪化により現地で徴用され,通信兵として従軍した。

従軍中の話は虎を食べた等の断片的なエピソードを除いて祖父の口が固く,明号作戦に参加した他はどのような作戦に従事していたのか,現時点で聞くことができていない。

そうこうしているうちに1945年8月に終戦を迎え,動員・ 武装解除された祖父は,仏語能力を買われて進駐してきた仏軍と捕虜との通訳を務めることとなった。 その間に現地の華僑名士に見込まれたらしくその華僑の娘と結婚して現地に留まる話が進められていたようである。 本人もその気になっていたが, 横浜正金銀行の幹部に叱責されて愛国心に目覚め, 終戦の翌年船でベトナムを離れ復員した。

この祖父の戦争記を知った時は,ちゃらんぽらんな元遊び人の姿から想像もつかない波乱万丈の半生 に驚く一方で,ひとところに留まらず自分を取り巻く世界の外への興味関心が抑えられない自分の気質は祖父譲りであったのかと妙に納得した記憶がある。

その後,もっと詳しい南洋学院時代・戦時中の話を祖父から聞こうと考えているが未だ果たせていない。これは自分の系譜を子供に語り継ぐために残された個人的な宿題だと思っている。時間があまり残されていないので早く片付けたい。
 
 

交換の論理(『一瞬の光』)

ここ最近、恋愛や人間関係、仕事のことを考えていてふと一冊の本が頭に浮かんだ。白石一文の『一瞬の光』。

一瞬の光 (角川文庫)

この作品は彼のデビュー作で、自分が進路に行き詰っていた学生時代に本屋でたまたま見かけて買った。確か村上龍が帯の推薦文句を書いていたと思う。

白石一文の作品はその後も直木賞受賞作(「ほかならぬ人へ」)も含め色々と読んだ。個人的には結構当たり外れが大きい人だと思っているので新作を買うのは半分博打だったりするんだけど、彼の作品は人生や社会の様々なテーマについて常に強いメッセージを発していて、好むと好まざるとに関わらず考えさせられるものが多い。

そうした彼の作品の中でも一番印象に残っているのがこの『一瞬の光』。大企業(三菱重工がモデル?)に勤めるエリート主人公と二人の女性とのかかわりを描いた作品なんだけど、この主人公、鼻につくくらいのエリートで美形で女性にモテまくってて社長の姪のこれまた超美人の才女と付き合っている。で、その主人公は美人のお嬢様(瑠依)と付き合いながら、ふとした切欠で知り合った女性(香折)とも交流を深めていく。この香折は幼い頃から凄まじい家庭内虐待を受けていてそのために苦しんでいるんだけど、そのトラウマゆえに周囲の人間を振り回す香折に対して、主人公も散々振り回されながら彼女の面倒を一方的に看続ける。そんな主人公に対して瑠依は「香折さんはあなたを利用している、あなたの善意を吸いつくそうとしている」と言う。

それに対する主人公の考えは、
「香折は私のことを利用しているーそうかもしれない。私の善意を吸いつくそうとしているーそうかもしれなかった。ただ、私にはそのことが私にとって何ほどの意味を持つのかがわからない。たとえ彼女が私を利用し、私の善意を享受したとしても、そのことと私の彼女への態度とのあいだに深いつながりはあるまい」

「瑠衣の言うことは、今日の世界全体を支配する『交換の論理』に立脚している。全ての価値が取引によって生み出されるという思想だ。だが、そこから真実の価値は生まれるのだろうか。”なぜ私がことにあたらないでおられよう”と考える人間は果たして現れ得るのだろうか」

 これ、自分が意識の片隅で常に思っていることと重なる。人付き合いにしても仕事にしても恋愛、婚活、結婚・・・あらゆる場面で自分たちはあまりにもこの「交換の論理」に囚われすぎているんじゃないだろうかって。勿論、恋愛相談一つとっても世の中には女性から搾取してやろうってロクでもない男がゴロゴロいるのが分かるし、反対に女性の中にも男性にタカって美味しい思いをしようとしてる人がいる。婚活でも男性は収入を見られ、女性は若さに価値が置かれる。結婚生活でも家事育児の負担がどちらか一方にだけ偏ってそれにもう一方が胡坐をかいているケースもあるし、仕事でも他人を利用し蹴落として自分だけが得しようとする人がいる。

そういう中で、自分だけが損をしないように、馬鹿をみないように自己防衛意識が働くのは尤もなことだし、そこからあらゆることにメリット・デメリット、プロコンやコストパフォーマンスといった「交換の論理」に立脚した意識が生まれてくるのだと思う。自分もそうだ。

でも本当にそれでいいんだろうか、と思う。仕事や外での人間関係においては自分に皺寄せが来ないように、ババを引かないように上手く立ち回って、プライベートではお互い自立して依存し合わない対等なパートナーと出会って家庭を築いて・・・「交換の論理」で選択していった先に自分の人生の意味はあるんだろうか。いい歳して夢見すぎなのかもしれないし、こういう思いが抜けきらないあたりが未だに独身でいる理由なのかもしれない。でも、この「交換の論理」を越える繋がりをどこかで見つけたいと思っているし、この思いは多分この先も消えない。



追記:白石一文の作品では『私という運命について』も好きで、「人生を自分の意思で選びとる」とはどういうことなのかを考えさせられる。