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過去と未来

昨年末、大学時代の友人サトシから飲みの打診があった。
仕事が立て込んでいたこともあり年明けにしようと一旦は断ったが、彼は年内に一度会いたいと言う。
彼がこういう言い方をしてくるのは珍しかったので仕事納めの28日に会うことにした。

28日、仕事を無理やり片付けて(放置して)串揚げの店へ。
少し遅れてきたサトシに表面上特に変わった様子はない。
ビールと串揚げを注文してお互いの仕事の近況報告や大学の友人達についてのあれこれ。
何となく彼の用件について思い当たる節はあったが、こちらからは触れず彼が切り出すのを待つ。
結局その店では本題に入ることなくホッピーを呷り、串揚げを頬張りながら駄弁り続けた。

串揚げ屋を後にして、最近彼が気に入っているという近場のバーに場所を変えた。
注文したビールに口を付けた後、彼がボソッと。

「嫁さんと別れることになると思う」

頭の中に彼の奥さんが浮かんでくる。確か同じ会社の同僚で結婚前に紹介されたことがあったな。新宿の韓国料理屋だったか。
記憶に残っている紹介の場面では、サトシは奥さんのことが可愛くて仕方がないといった感じで、奥さんもサトシに惚れ込んでる様子だった。相思相愛、お似合の二人だった。

離婚の理由はごくありふれたものだった。
最終的に決断をしているわけではないが、お互いの意思は固そうな様子が彼の口調から窺えた。子供の親権は奥さんに行くことになるようだ。

ふと思い出したようにサトシが共通の大学の友人ケンタロウのことを話し始める。
私たち3人は同じゼミに所属していた。細かい事を詰めるのが得意なサトシはゼミ幹事、遊び人のケンタロウはムードメーカー兼宴会部長だった。
3人ともタイプが違っていたが不思議とウマが合い、深夜に体育館に忍び込んでバスケをしたり、研究室にある貰い物のお酒を飲み干したりしていた。

サトシの話によると、ケンタロウは亡くなった奥さんの連れ子(中学2年)との関係に相変わらず悩んでいるらしい。
サトシからケンタロウと登校拒否の連れ子との近況を聞きながら、ふと、「いつの間にかこんなところに来たんだな」と感じていた。

30歳くらいまでは自分の人生は学生時代の延長にあった。みなぎるエネルギーに仕事の充実感と自信が加わって、「上り調子」感に満ちていたと思う。共に人生を歩もうと思っていたパートナーもいた。
いや、今だって仕事はそれなりに面白いし、自分自身は大きな困難や問題を抱えているわけではない。

ただ、それでも、この歳になって仕事で大きな方向転換をしたりゼロから新しいことを始めるのは難しくなってきているし、プライベートでは結婚と離婚を経験して今は独り身。ケンタロウは奥さんと死に別れ、サトシも離婚の危機に直面している。40歳を前に体力も確実に衰えてきている。若い頃思い描いてた以上に可能性という資産が大きく目減りしていることを知る。

もう少し飲んで帰るというサトシを残し、ビール3杯分の金額をカウンターに置く。

「良いお年を」
「ん、良いお年を」

顎に肉がつき瞼が少し下がってきたサトシの顔に、次第に薄れゆく学生の頃の自分と重みを増して圧し掛かる「取り返しのつかなさ」を感じ、胸を締め付けられるような息苦しさを一瞬覚えた。
今立っている地点を10年後から眺めたらどのように映るのだろう、その時自分はどこに立っているのだろう。湧き上がる思いを振り切って終電に滑り込むため駅への道を急いだ。

恋愛と結婚

ゲスの極みの不倫騒動を巡り、ツイッターで恋愛と結婚についてのやり取りを目にしたので少し思ったことを書いておこうと思う(目新しい知見はないです)。

ツイッターで何度か書いているように、恋愛と結婚は多くの場合地続きにあるものだけど、恋愛が非日常であるのに対して結婚は日常であり、その意味において両者は別物と考えている。

非日常である恋愛においては基本的に相手の良い部分だけを見て過ごすことができるし、自分も相手に良いところだけを見せることができる(付き合いが長くなっていくとまた違ってくると思うが)。また、恋は盲目という言葉にあるとおり、特に付き合い始めで気持ちが盛り上がっている時は相手の全てが愛おしく思えるものだと思う。

一方、日常生活を共にする結婚においては、些細な生活習慣からお互いの家族との付き合い方や子供の教育に対する価値観に至るまで、色々と合わない部分や相手に幻滅するところが出てくる。プロポーズで愛の言葉を囁き結婚式で永遠の愛を誓い、それが本心から出た言葉であったとしても、「相手を恋い焦がれ愛する気持ち」はそうした現実の生活の前にやがて色褪せて日常に埋没していく。長く恋人同士だった二人が結婚して短い期間で破局を迎えてしまうのも、そうした結婚と恋愛の違いを表しているように思える。

じゃあ、結婚生活を上手く送るためには相手を愛する気持ちといったいつ消えるかわからない不確かな感情は不要で、条件(スペック)とロジックこそが全てなのかと言えば多分それも違っていて、そこを埋めるのが二人の意思と信頼なんじゃなかろうか。ありきたりだけれども。

上に書いたように結婚生活では様々な不和やすれ違いが起き、常に破綻の危険が潜んでいる(新婚時代にはそうした危機が自覚されにくいけど)。そこに魅力的な異性が現れればそちらに惹かれることもあるかもしれない。それが現実のものとなって離婚に至るか或いは危機を回避するか、その二つを分けるのは何なのか。

これは私の勝手なイメージであるけれども、結婚をし家庭を作るということは、これまで生まれ育った○○家という国を出て(物理的な意味だけではない)、新らしく二人の王国を作ることなんじゃないか。新たな王国すなわち真っ新な白地であり、そこに秩序を整え自分の居場所として心地よいものとするのは、王国の唯一の構成員である王と王妃以外他にいない。自分一人ではなくパートナーと作り上げるものである以上、そこでは自分がかつて属していた旧い世界のルールや価値観を押し付けるだけでは駄目で、お互いの違いを認め譲り合わざるを得ない局面が出てくる。また、お互いの親や親族、仕事、友人といった王国の外の世界とどう付き合っていくのかも新たな課題として立ち上がってくる。元々異なる世界にいた二人が一緒になるのだから、ルールを作っていく過程では諍いや不和もあるだろう。外の世界からの誘惑(不倫、ギャンブル等)もあるかもしれない。そうした誘惑を退け不和や諍いを乗り越えるのに必要なのは、パートナーと共に家庭という王国を作りあげていこうとする意思と、王国を共に作る相手としての配偶者に対する信頼だろう。

その意味で結婚は式を挙げればゴールというものではなく、むしろその後の二人の意思による不断の努力が何よりも大事になってくる。そして二人で苦労や危機を乗り越えて王国を守り続けていく中で、共に苦労した時間は王国の歴史として二人の信頼と意思をより強固なものとする。結婚前の恋愛感情は時間と共に薄れるかもしれないが、その代わり、共に王国を守る者、すなわり同志や戦友としての絆と労りの気持ちが生まれてくる。それが結婚生活における愛情じゃないかと思う。

今回のゲスの極みのケースでは、少なくとも川谷さんの方に家庭を維持し相手からの信頼を守るという意思が見られなかった。自覚なき王の裏切りにより王国は崩壊するほかなかったのだ。