20代の遊びについて

以前もツイッターで似たことを呟いたことがあるんだけど、20代のナンパ師や恋愛工学生の人達に問いたいのが、その遊び本気でやってる?ってこと。

女遊びでもグルメでも酒でもなんでもいいんだけど、体力と気力がピークの貴重な20代を費やしてやるんだから、その世界で国内5本の指に入るくらいの覚悟もってやれと言いたい。ちょっと女性を口説くテクニックを身に付けて小洒落た店を何軒かストックするのがゴールなのか?金曜夜のコリドー街や六本木に掃いて捨てるほどいる量産型遊び人が目指す姿か?そんな量産型と敢えてビジネスで組もうとする人間がいると思うか?

遊びも仕事も両立するなんていうけど、夜10時から2時まで飲んで仕事に戻るなんて体力があればバカでもできるから。あれは両立じゃなくてどちらも中途半端なんだよ。

遊びでトップを張る気概がないなら仕事と勉強に打ち込んだ方が良い。少なくともこの瞬間、この案件については自分の右に出る者はいない、そういえるものを作るべき。そういう仕事を30半ばまでにどれだけ経験するかがその後のキャリアを大きく分ける。34~5歳になってから周りを見回して気づいても遅い。

そうして培ったスキルがあれば「桃李言わざれども、下自ら蹊を成す」でビジネスに繋がるキーパーソンも自然と集まってくる。 仕事と勉強で頭角を表していけば出来る年長者が目をかけるようになるし、年長者が案内してくれる社交の世界で必要な遊びを学ぶこともできる。

それでも若い今のうちにどうしても遊びたいなら、最長で1年って期間を区切って、その間はあらゆるリソースと努力を最優先で注ぎ込んで遊ぶべし。そして成果を出すべし。20代の過ごし方はそれくらい大切ってこと。

英語を勉強する前に


社会人になって、「何かスキルアップしたいな」って考えた時に頭に浮かぶものの一つが英語だと思う。本屋でも専門のコーナーにありとあらゆる英語学習教材があふれている。ネットでもビジネスマンに英語は必須!なんて煽り文句もよく目にするし。その一方で、勉強を始めたはいいけど結局3日と続かずやめてしまうという話もよく聞く。私も中学高校大学と英語がずーっと苦手で社会人になって苦労しまくりながら勉強してようやく英語がある程度(仕事で使える程度)使えるようになったので、自分の経験から、英語が苦手な社会人が英語を勉強してみようかなーなんて考えた時、勉強を始める前にまずは考えておいたらいいかなと思う事を書いてみる。英語の勉強方法ではありません。勉強方法についてはネットや書籍、英会話スクールに方法論が山ほどあるのでそちらをご参照あれ。


1.その英語、本当に必要ですか?
あたりまえですが、英語に限らず勉強は時間と労力を必要とします。平日の日中は仕事があるし仕事の後はジムでトレーニングしたり飲んだりしたい、休日は彼女とのデートに合コン、最近始めたボルダリングも続けたい!と忙しい社会人には毎日1時間の勉強時間を捻出するのだって簡単じゃありません。英語は皆さん中学高校で勉強した経験もあるし、何となく汎用性も高くてとっかかりやすそうに見えるので、その勉強の先にあるものがはっきりしないまま「何となく英語ができると仕事の幅が広がりそうで」みたいな動機で始めがちです。ですが、その勉強、確実に挫折します。人間ってよほど強い動機に支えられた夢があるか、或いは反対にギリギリまで追い込まれでもしないと勉強しないのです。私もそうでした。英語の勉強を始める前に、勉強した英語を何に使うのか、本当にその時に英語ができないと死ぬのか、英語が必要とされる局面やビジネス機会がいつどういう形で自分に訪れるのか等々、できるだけ具体的に掘り下げましょう。TOEICを受けるにしても、何故受けるのか、何のために受けてそのためにはどの程度のスコアが必要なのか、をきちんと考えましょう。いくら掘り下げても具体的なイメージが思い浮かばなければ、今の貴方には英語は必要ないのです。「周りも勉強してるから」とか「英語くらいはできてないとマズイかなと思って」みたいな動機で時間と金をドブに捨てるよりは、そのお金で別の楽しい趣味を始めるか異性と旨い酒でも飲みに行きましょう。

2.どういう英語が必要か、イメージできてますか?
 一つの言語を本当に身につけようとすると物凄く大変です。私自身、生まれてから最も身近に使っている日本語ですら、知らない表現に出くわしたり読み手に伝わる文章を書くのに四苦八苦しています。ましてや大人になって日本語と言語構造が大きく異なる外国語を身に付けるのは至難の業です。日本語と同じレベルということであれば。
これは上記の1.に関係するのですが、自分にとって英語が必要となるシチュエーションが具体的にイメージできていれば、そこで必要な「英語スキル」が何なのか自然とはっきりしてくると思います。海外支店との会議に必要なのか、社内公用語が英語の企業に転職する予定なのか、英文の契約書を大量に処理する必要があるのかetc・・・。その用途によって覚える表現・語彙(ビジネス、社会科学、自然科学、医療、経理、法律・・・等)や鍛えないといけない能力(読解、ライティング、オーラルコミュニケーション、ヒアリング)とそのレベルが特定されてきます。全てを万遍なく母国語に近いレベルで身に付けることは難しくても、特定の分野の特定の語学スキルを一定のレベルまで身に付けるのは社会人になってからでも十分可能です。どういう英語スキルがどのレベルで必要なのかを把握し、漫然とではなく合目的的に勉強しましょう。

3.大学院留学で英語力は伸びません
 英語を勉強する人の中にはMBA等の大学院留学を目標に置いている人がいて、その中には大学院留学で英語ペラペラになる姿をイメージしている人もいるかもしれません。残念ですが、大学院留学で英語力は(思ってるほど)伸びません。大学院は英語を使って学ぶ場であって英語を学ぶ場ではないからです。専攻やスクールにもよりますが、特に大学院の場合は膨大な課題図書を読んでひたすらペーパーを書く、みたいな学業生活になるのでオーラルでの表現力やヒアリング能力は本人が意識して鍛えないと伸びません。また、ハーバードやコロンビア、スタンフォードといった有名大学の大学院は得てして日本人を含む留学生が多くネイティブとの会話の機会も思ったほど多くありません。アマースト、ウィリアムズといった少人数で留学生が少ないリベラルアーツ・カレッジの方が英語力という点では理想的な環境ですが、社会人になって大学の学部に留学するというのもあまり現実味がないので難しいところです。ただ少なくとも大学院は何か勉強したいことがある人が行くところであって、英語力を伸ばしにいくところではないことは言えます。


なお、以上は社会人を念頭に置いたものです。内定先からTOEICの点数提出を求められている大学生は含まれません。頑張って血反吐吐いて勉強してください。

斜め上の人

しばらく前にツイッター内で中高通うなら公立か私立かみたいな議論があった。議論では、私立出身者による私立擁護や公立出身者による公立マジクソ論、子供は伸び伸び遊ばせるのが一番という意見もあれば習い事を含めいろんな経験をさせて選択肢を多くしてあげるべき、私立中高の人間関係は一生もの、等色々な意見が見られた。

そのどれもが一理あると思うんだけど、この手の教育・子育て関係のネタって結局意見が噛みあわず不毛なやり取りに終始するんだよな。子供の個性が皆バラバラだから。あたりまえだけど。
自分が受けてきた教育・子育てがそのまま自分の子供にピタリと合うかどうかなんて実際に子供を持ってみないと分からないし、就学年齢の子供を持つその時に自分がどういう教育環境にいるかによっても受けさせる学校教育は全然違ってくる。公立だ私立だと一口にいっても東京と自分の地元では状況が全然違うし、東北の大都市と四国の小さな村落でもそれぞれを取り巻く環境は「同じ公立/私立だから」では語れない。自分の限られた経験から公立論・私立論を語ってもしょうがないだろうって思う。

「自分の遺伝子を受け継ぐ子が~」とか言ってる意見もあったけど、どんだけ自分の遺伝子に自信あるんだよ。それに自分の遺伝子のうち良い部分だけが子供に受け継がれて発現するって能天気にもほどがあるんじゃないの。星新一の「ブロン」を百回読めと。

ってまあ、教育や子育てについて思うところはあるんだけど、子供を持っていない自分があーだこーだ言っても説得力ないので、自分自身の経験に絡んで一つだけ。受験やその先の進路とかを考えるとき、親のような縦の関係だけじゃなくて叔父・叔母とか親戚のお兄さん・お姉さんみたいな歳の近い斜めの関係の年上の存在って結構大きいよねって話。

自分は中学受験して中高と私立だったんだけど、中学受験も含めて自分の進路を考えるにあたって一番影響受けたのは叔父(母の弟)だった。実家近くで祖父母と一緒に生活してた叔父は、自分との年齢差が10歳と比較的小さかったこともあって叔父というよりは歳の離れた兄ちゃんって感じで、小さいころからよく遊んでもらってた。叔父は遊び方も真面目な父親とは違っていて、例えば花火だと、打ち上げ花火を手で持って自分たちで作った的を目掛けて打ち込んだり、噴射花火とロケット花火を組み合わせて自動発射装置を作ったりと、一工夫こらした遊び方を考えつく人だった。夏になると4時半時起きで近くの山にクワガタを取りに行ったり(当時でも珍しかったミヤマクワガタを何匹も捕まえる叔父はヒーローだった)、近くの野原にキャンプセットを持ち込んで泊まりで映画を撮ったり。正月になると貰ったお年玉をかけてブラックジャック大貧民をしてお年玉を巻き上げられたりもした。祖父母の家が近かったから時々夕飯を祖父母や叔父と一緒に食べることもあったんだけど、カリフラワー食べられなくて母親に叱られてた私に対して「でもゲロマズだよな」ってこそこそ話をしたりしてとにかく面白くて大好きな兄ちゃんだった。
叔父は東京の大学に進学して祖父母の家を出たんだけど、その後も大学の夏休みとかには高速バスに乗って東京の叔父のところに遊びに行ってた。

小学校4年の時、母親から「A中学って学校に興味ある?」って聞かれた。A中学は地元の私立中高一貫校。自分の地元は色々あって当時は公立学校の学力がかなり低く、地元の国立大学に進学するのも県内の公立高校からはかなりハードルが高いと見られてた。地元で進学校というと男子は私立のAとB,国立のCと言われていて、進学実績でもこの三校が抜きんでていて公立はその遥か後塵を拝していた。母親はそういう事情を知っていたから子供の可能性を広げておきたいって思い、A中学を含む中学受験を考えたのだろう。で、母親から聞かれたA中学、叔父の母校だった。叔父に憧れてた自分は二つ返事で行きたいと言い、そこから中学受験勉強の日々が始まった。2年後第一志望のAに合格した時は、春から叔父が着ていた制服(当時流行のブレザーとは違って古風で個人的にはそこも好みだった)で同じ学校に通えることが何より嬉しかった。

その後も大学進学、就職、留学と節目節目に叔父に相談してきた。今でも父親を除くと仕事について一番の相談相手は叔父だ。親との関係で激しい反抗期があったわけではないけど、10代は親よりも叔父の言うことに影響を受けてたし、親に反対されそうなこと、親に言えないことは叔父に相談してきた。キャリア的に今の自分があるのは特に根っ子の方向性のところで叔父の影響が大きい。親とは別に、斜め上という、直接プレッシャーがかかることなく必要な時に頼れるという絶妙な距離感の血縁に人生のロールモデルを見出すことが出来たのはとてもラッキーなことだったと思う。従兄弟/従姉妹の中では自分が一番年長で、まだ小学生の従兄弟/従姉妹もいるので、自分もそうした近しい若年者にとってそういう存在になれたらいいなと思う。