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中学受験

   リクエストがあったので中学受験について書こうと思う。特に目から鱗がおちるような知見はないし、快刀乱麻を断つみたいなすっきりした結論もない、たぶん。自分は地方で中学受験を経験し中高一貫の男子校に通ったが、受験期の子供がいるわけではないのであくまで自分の経験を踏まえて中学受験についてなんとなく感じていることを書いてみる。

 

 結論から言うと、「自分の子供の適性をよく見極めましょう」に尽きるんだけど。

 

   行きたい学校がどこにせよ、合格するのに必要な学力・知識水準ははっきりしていてSAPIXを始めとする中学受験塾でそうした学力を身につける方法論は確立されてるわけだからそれをやるだけなんだよな、受験勉強自体は。ただ、やっかいなのはそれをやるのが肉体的にも精神的にも未熟な10~12歳児だってこと。

 

   受ける学校にもよるけど、自分の体感から見るに、中学受験で必要な勉強量は社会人にとっての司法試験や公認会計士等の最難関資格に匹敵するんじゃなかろうか。そこまでの難関資格じゃない、TOEIでさえ英語を勉強している社会人のうち例えば900点到達に必要な勉強量をこなしている人の数なんてたかが知れてるだろうし、中学入試で出題される問題のレベルにしたって中位の偏差値の中高大学をなんとなく過ごしてきた大人じゃ歯が立たない難しさだと思う。大人でさえ容易にこなせない質と量の勉強をわずか10歳あまりの子供にやらせようとした時、肉体面・精神面における本人の適性の有無が大人とは比較にならないくらい大きな要素として関わってくる。

 

   10~12歳って頭も体もそして心も成長の途上にあってその成長度合いは子供によって様々だ。だから同じように勉強をさせて学力を上げようとしても、それぞれの子供の知能の発育度合いや精神面での成熟度、性格や体力によってその実現しやすさ(知識や解法の定着に要する時間・手間等)は当然大きく異なってくる。また、同じことをやらせるにも、どれだけのリソース・時間を割いてどこに重点を置くか、子供の気分をどうやって乗せていくかといったアプローチも千差万別となる。小学校高学年の子供に平日4~5時間、週末は10時間机について一定の集中力をもって勉強をさせるという生活に突入しようと思ったら、普通は我が子がそうした負荷に耐えられるかどうかを子供の体力・性格面での長所・短所を踏まえて慎重に検討した上で、その子の特性に応じた相当周到な準備が必要となる。そしてそうした子供の適性を一番よく分かっているのは親(のはず)なんだけど、中学受験に嵌っている一部の親の中には、こうした子供の適性を十分見極めないまま受験に突入してしまい、思うように成績が伸びない状況に発狂し、勉強に心身共に疲れ切っている子供を更に追い込んでしまっているケースが見受けられる。この点、中学受験に必要な勉強の質・量、それによる負荷を体感的に理解しているのは中学受験を経験している親なんだけど不思議とそうした親であっても受験に我を見失っている人は割と多い。これは、自分の受験の結果が不本意だった人はその失敗を子供で取り返そうとし、成功した人は「自分の遺伝子を受け継ぐ我が子は優秀に決まっている」って思い込みから成績が伸びない我が子を受け入れられないからなのかもなって思う。

 

 中学受験のプロコンやコスパ、男子校女子高・中高一貫教育の是非云々については議論が百花繚乱で書き尽くせないのでここでは網羅的には取り上げないけど、例えば、大学受験の観点から東大京大への進学可能性に限って言えば、正直進学する意味があると言えるのは都内で言えば御三家とそれに続く学校くらいだと思うし、散々勉強して(偏差値的に)中途半端な学校に行った挙句、中学受験のトラウマを抱えたまま大学の落ち着き先がMARCHみたいなケースを見るとなんだかなあ・・・と思う気持ちも分かる。でも、「開成・筑駒→東大」って成功例よりそういう不本意進学の方が多いんだよな、たぶん。その意味で中学受験経験者の大半は受験の「敗者」であって、彼ら彼女らが長じて親になって子供を使って過去の自分を救おうとしているところに東京の中学受験の狂騒っぷりがあるのかもと思う事もある。実際に周りにもいるんだよね。開成落ち巣鴨早慶って経歴へのコンプレックスを引きずって息子を何としても開成に入れようとしている男親とか。

 

   と、ここまで「正論」を書いてきたけど皆そんなことは分かっているんだよな。それでも一度始めてしまうとどんどん深みに嵌って抜けられなくなる怖さが中学受験にはあると思う。子供のことを一番よく分かっている親だからこそ、我が子のやる気スイッチを一生懸命探して押してやり、それでも時に手抜きする姿に激怒しある時は心を鬼にして遊びを我慢させ、そこまで頑張っているんだから報われてほしいと願う親心を他人が岡目八目で「くだらない」と言って切り捨ててもそれは誰も救わない正論なわけで。成績が伸びなくてこのまま続けていいのだろうかと悩んでも、途中で止めたらそれはそれで子供に挫折を味あわせてしまうんじゃないかとか、子供の意思も汲んで始めた受験なのにここでやめて諦め癖を覚えさせてしまうのはまずいんじゃないかとか、それまでに色々諦めて受験に投入した時間とリソースを考えたらとても損切りなんて・・・って感じでなかなかできないんだろうなと思うし、そこに中学受験の業深さがある。

 

   それに中学受験は志望校に合格出来なければ意味がないかと言えば自分はそうとも言い切れないと思っていて、スポーツや他の習い事と同様、1~2年間一つの事に打ち込んで全力を尽くした経験は受験結果の如何に関わらず本人の糧になり得る(なると断言しないのは、受験に「失敗」した時の大人のフォローが拙いとその経験が逆効果になってしまうため)。自分自身、大学生や社会人になってから1日10時間以上勉強した時にそれを支えた知的体力や集中力は中学受験で培った賜物だと思っている。

 

   ちなみに妻は中高と地方の公立でのびのび過ごしてそこそこの大学に進学していることもあって、子供のうちは根を詰めて勉強するより体動かして遊ぶべきって考えで、自分も、東京のそれと比べると牧歌的だったとはいえ中学受験の勉強生活で諦めたものや我慢したこともそれなりにありその我慢した記憶が今でも残っていることもあって、少なくとも「何が何でも絶対中学受験!」ってわけではない。(特に男の子であれば)小学生までは学校から帰ったらランドセル放って外に飛び出して友達と探検して秘密基地作ってカマキリやバッタ、クワガタを捕まえて・・・みたいな生活を送ってくれればいいなあと思っててそこは妻とも価値観は近い。そういう「活発で友達と元気に遊ぶ子」ってイメージも自分の経験からくる勝手な理想像だとは思うけど。


 ただ、自分の仕事やあれこれを考えると子供が学齢期になったら中学受験について検討しないといけないだろうなあと思っていて、妻の性格を考えると一旦始めたら相当のめり込むだろうし、それでなくても中学受験は諸々擲って受験生中心で生活を回さないといけないだろうから、自分は全体を俯瞰することを心がけつつ、①受験をさせるにあたっては子供の適性を踏まえて受験の是非と目的についてよく妻と話し合うこと、②一旦始めた後も途中でも撤退する選択肢を常に持っておくこと、③受験が「失敗」した時の子供と妻のフォロー・心理的サポートを準備しておくこと、はやるようにしようと思っている。