夏の終わりに死を選ぶことについて

  先日ニュースで夏休み明けの時期に10代の自殺が多いと伝えているのを目にして,ふと自分が10代の頃のこの時期を思い起こした。

 

  小学生の頃は,イベント盛りだくさんで楽しかった夏休みが終わる名残惜しさの一方で, 久々に同級生に会えるワクワク感があった。6年生の夏休みは中学受験で塾の夏期講習&家での勉強一色だったので,余計に学校が始まるのが楽しみだった気がする。

 

  中高は水泳部に所属していたので,夏はひたすら練習と試合に明け暮れ,夏休みの最終週は手をつけていない宿題を片付けるべく優等生の同級生からノートを借り,おなじく宿題の概念を忘れ去っていた同類の部活仲間で回していた記憶しかない。 宿題が終わらない焦りはあったものの,当然ながらそれは自分の命を絶つほど切羽詰まったものではなかった。

 

  こうした記憶に現れているように,運動も勉強もできて先生受けも比較的良い級長タイプであった私にとって,小学校は自由に振る舞える居心地の良い空間であったし,中学高校 は進学校だったため勉強はその他大勢の中に埋もれたものの,水泳部という居場所のおかげで部活を中心にそれなりに楽しい毎日を送っ ていた。

 

  今思えば,当時の環境はなんだかんだ言って地方進学校にありがちなのどかかつぬるま湯的であり,肉体に比して精神はまだまだ未熟で幼かった自分にとって居心地の良いものであった。加えて,自分自身良くも悪くも環境適応性が高く,「与えられた条件や制約に 対して疑問や反抗心を抱くことが少ない」性格であったことも幸いしたのだろう。 

 

  なので,自分の学生経験からは,今この瞬間,学校生活に苦しさ・ 辛さを抱えている人に向けた教訓めいたなにかを、またはメッセージを見いだすのは難しい。

 

  ただ,これまでの人生の中で自殺したい程辛い時期がなかったわけではない。いや,自殺するほどではなかったが,学校であれば登校 拒否にはなったかもしれない。
  それは社会人1年目だった。

 

  それなりに知名度のある会社に入り,満たされた自尊心と未知の世界への期待とともに部署に配属された私を待ち受けていたのは, 社内でも評判のパワハラ上司だった。日本人としては平均的な身長だが痩せぎすで猫背のため実際よりも小柄な印象を与える体格,血色が悪く不健康に黒ずんだ顔に不似合いな太い口髭を蓄えたその風貌から,庶務の女性に「貧相ネズミ」と揶揄されていたその上司は ,私の上げるあらゆる書類とあらゆる報連相について時にネチネチと説教し時に罵倒し,更に機嫌が悪いときはファイルや文房具を私 に投げつけた。

 

  今でも覚えている出来事がある。部署の誰かの歓迎会の二次会で カラオケに行った時のことだ。一次会でも一番の下っ端として料理 のとりわけやドリンクの注文,支払いの取りまとめといった下働き をした私は,ここでも最初の仕事として上司,先輩を始め10人分 全員のドリンクを注文して曲を入力した。それが終わり腰を落ち着けようとした時に私の顔の横を何かがかすめた。 とっさに顔を躱して飛んだ方向を見ると,それは火が付いたタバコ だった。飛んできた方向を見ると例の上司が酔いで赤黒くなった顔 をニヤニヤさせながらこちらを見ている。

 

「早く盛り上げろよ」

 

  このときは流石に一瞬殺意が湧き拳を握りしめた。結局振り上げたのはタンバリンだったけど。

 

  この上司の存在のせいでとにかく職場に行くのが憂鬱で仕方なかったが,彼との辛い日々で自分が取った行動は,人事に訴える事でも転職活動に勤しむことなく,なにもせずただやり過ごすことだった。今思えばなんでその選択肢を考えなかったんだろうと思うが,社会人になって最初に出会った上司だったので,「この会社の役職者はこんなもの」という刷り込みがあったのかもしれない。

 

  が,それ以上に大きかったのは会社の人事ローテーションだった。一つの部署での勤務期間として2~3年が基本とされていた本社において、その上司は当該部署での勤務が既に1年を越えていた。上司が1~2年のうちに自分の目の前からいなくなるのは分かっていたので,深夜の合コンを楽しみにひたすら心を無にして働いた。

 

  それでも3日だけ取れた夏休みがあっという間に終わり,休み最終日の夜に落ち込む気分の中ぼんやり思ったのは,会社か上司が滅びてくれないかなあだったけど。

 

  その願いは当然叶うことなく,上司は夏休み明けも変わらず陰気かつ暴力的に 私を締め付け,結局1年半共に働いた。社会人2年目の秋に彼が人事異動で去った時の開放感は今も忘れがたい。

 

  閑話休題

 

  いじめであれなんであれ,学校が自分にとって安心して過ごすことができない,大きな苦痛を伴う場所となってしまった場合,そこか ら逃避するのは自然なことだ。三十六計逃げるに如かず。その一方で,逃避という言葉が端的 に示すように,それは本人には「本来いるべき場所から逃げてしま った」という心理的な負い目をもたらす。

 

  不登校の問題は,それを周囲の大人が受け入れ認めることができるかどうかもさることながら,周りの 同世代が学校という社会生活を送っている昼間に同じ時間の過ごし 方をしていないという,「まっとうな世界からこぼれ落ちてしまっ た」感覚も大きいのではないかと思う。私も就活に失敗して留年し ていた時期は先に社会人生活をスタートさせた同級生を思いながら 世界から取り残され奈落に落ちていくかもしれないという不安感に苛まれていた(※当時は就職氷河期と呼ばれ,社会に出るために用意された正社員の席は極めて限られていたことから,就活学生の間では履歴におけるわずかな瑕疵であっても致命的なビハインドになると信じられていた)。

 

  夏休み明けを控えて学校に行く気力が湧いてこない人達に説教くさく何かを押しつけるつもりはない。ただ,もし目の前の大事な人が知らず知らず自分を追い詰めてしまって苦しんでいたとしたら,「 滑り落ちるのを気にしなきゃいけないようなこの世の縁は,君が思っているよりずっと遠くにある。大丈夫。学校に行かなくても君の回りに世界は広がっている。この世界から転げ落ちはしない。」という趣旨のことをたぶん話す。そして手を取って,彼等が気づいていな い世界を探しに行き当たりばったりの道のりに足を踏み出して行くんじゃないか。あるいはそういう事ができる人間でありたい。