最近飛行機に乗っていない

最近飛行機に乗っていない。

 

最初の飛行機の記憶として覚えているのは,確か国内線のフライトで,自分が小学校低学年くらいの頃に乗ったやつだ。

 

離陸の加速で体が座席に押しつけられる初めての感覚。びっくりしながら窓の外を眺めていると,綿菓子をちぎって散らしたような雲がスッと切れて,まばゆい初夏の日差しと一面真っ青な空が目に飛び込んできた。その瞬間,ああ,自分は今空を飛んでるんだという実感が,旅への期待とともに胸に湧き上がってきたのを今でも覚えている。

 

次に覚えているのは,初めての海外駐在で中東の某国に赴任したときのことだ。当時はまだ中東地域に直行で飛ぶ飛行機がなく,欧州を経由して入るのがオーソドックスな旅程だった。

 

経由地の空港に着いたのが昼過ぎで,そこでバスに乗りターミナルを変えて夕方のボーディングを待った。出発ターミナルは他のターミナルから外れた場所にあり,これから向かう国の現地人だろうか,白人とは明らかに異なる顔立ちの人々が所在なさげにそこかしこに佇んでいる。彼等の持ち物か衣類から漂うのか,甘ったるい砂糖菓子の匂いが香辛料の独特の香りと混ざり合い,既に半分現地に足を踏み入れたかと思わせる空気を醸していた。自分の他に日本人と思しき旅客は見当たらず,ゲート窓から差し込む日の光が心持ち弱々しく見えたのは,初めての地に向かう不安な気持ちを表したものだったか。

出発までの時間つぶしに免税店をぶらついて目にとまったサーモンの燻製を買った。(誰に買った物なのかは失念した。)

 

7割のアラブ系と3割の欧米系,そして(恐らく)1名の日本人乗客を乗せた飛行機は定刻をやや過ぎて離陸した。水平飛行に入ってからしばらくしてサーブされた機内食は,焼きうどんのような色合いに反してぼんやりとした味付けの国籍不明ヌードルで,成田発のフライトで食べた和食との落差に少し気持ちが落ち込んだ。

 

機内エンターテイメントに観たい映画も見つからず,日本からのフライトの疲れもあって早々に眠りについた。風切り音のせいか起きている時の地続きのような夢を見ていた気がする。浅く断続的な眠りの後,目が覚めたのは着陸時刻のおよそ2時間前。払暁にまだ少し早く,濃紺の地と空を分けるのはうっすらと見える地平線のみだった。人家の光はまばらどころか殆ど見当たらず,人が住んでいる痕跡を探そうと目をこらしているうちに夜が明けた。

 

地平線を越えて登り始めた朝日に一面赤く照らされた土漠。殺風景な景色に初めての海外生活への期待をかき立てる要素はなにもなく,それだけに一層,これから異国の地で暮らすのだという思いを強くした。

 

 

以来,出張や転勤,旅行の度に飛行機に乗ってきた。友達との別れを惜しんでいてボーディングを逃したり,乗り継ぎ空港で次の搭乗予定の航空会社のストを知ってカウンターまでダッシュし振り替えフライトを必死に探したこともあった。一時期毎年NYに行っていた頃は,徹夜明けの体を奴隷船のようなエコノミーの座席に埋め,気圧と寝不足と疲れのせいで止まない頭痛を薬で無理矢理治めながらのフライトではあったが,それも今となってはNYの爽やかな秋空の記憶と共に良い思い出だ。

 

空港の出発ターミナルの,これから旅に出る人の高揚感と非日常感に満ちた雰囲気に包まれると,徹夜明けで疲れていても「よし,行ってくるか」と前向きな気持ちになるし,成田に帰り着いて「おかえりなさい」の文字に出迎えられると,今回も無事帰ってこれたとの安堵感とともに肩の力が抜けていく。

 

ここ数年は飛行機を使う出張から遠ざかっているが,飛行機と空港が嫌いにならない限りこの仕事は続けられるだろうと思っているし,最近は時折空を見上げてはそろそろ飛行機に乗ってどこか遠くに行きたいなあと胸の内でつぶやいている。